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宮城谷三国志、堂々完結――この大長編に、執筆だけでも十二年の歳月をかけた

宮城谷三国志、堂々完結――この大長編に、執筆だけでも十二年の歳月をかけた

文:湯川 豊 (文芸評論家)

『三国志 第十二巻』 (宮城谷昌光 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 孫権にふれるとすれば、これはいちばん若々しく、力に満ちた存在である。若いながらによく部下の才能を見きわめ、使い方もうまい。赤壁の戦いで周瑜に呉の運命を託すのは、並々ならぬ決断力の発揮であり、一方の雄であることを示している。

 ただし、晩年の老耄がいかにも悲しい。それまた、人間のもつ時間の流れを示すものであるとしても、死を前にした孫権の人生は、歴史のなかに溶けこんでゆくという自然の姿をとることができないのである。

 それにひきかえ、曹操の死、さらには諸葛亮の死などは、歴史のなかに静かに溶けこんでゆくのを感じさせ、宮城谷『三国志』という大長篇小説の時間がやがて閉じられるのを読者に予感させる。

《群臣の憂愁が濃くなったところで、庚子(こうし)の日、魏王曹操は崩じた。六十六歳であった。》

 という記述のあとに、曹操らしい現実的な遺令が語られ、ついで「手から書物を離さ」なかった文人としての曹操に筆が及ぶ。英雄が歴史のなかに還ってゆく姿に、愛惜の情が湧いてくる。

 また、五丈原の戦陣にいる諸葛亮の死も、深く心に食い入る。

《この夜、赤い芒(ほさき)のある星が、東北から西南にながれて、諸葛亮の本営に落ちた。

 この星は落ちて二度はねかえり、そのつど小さくなった。》

 大才の五十四年の生涯を、伝承によって悼んでいる。しかしすぐその後で、「内政に関しては、非の打ちどころがなかった」孔明の、軍師としての弱点が語られ、それが対峙する司馬懿(しばい)の軍の動きの現実性につながってゆく。

 それはとりもなおさず、曹操の死がそうであったように、読み手に三国志の歴史の時間がやがて閉じられるのを予感させ、強い愛惜の思いを抱かせる。その愛惜の情は、諸葛亮に向けられているのか、宮城谷『三国志』に向けられているのか、はっきりと断定することができないままであるのだけれども。

 蜀も魏も滅び、やがて呉も衰微して中国全土が晋によって統一される見通しのなかで、大長篇が終結する。その流れのなかには、曹操・劉備・孫権など英雄たちひとりひとりの生死があり、その生のきらめきは、荒唐無稽の「伝承」のヴェールを脱ぎ捨てたところからはじまっている。史実に戻ることで、人間と人間の歴史があざやかによみがえったのである。

 宮城谷氏はこの大長篇に、執筆だけでも十二年の歳月をかけた。それはただならぬことではあるけれど、そのような厖大な時間をかけて書かれた作品のなかでは百五十年の時間が流れているのだ。私たちは一巻一巻と本をひもとくことで、後漢から三国時代の終る激動の百五十年に身をひたすことができる。そこには、歴史と人生と、質の高い文章を読む愉しみがつまっている。

文春文庫
三国志 第十二巻
宮城谷昌光

定価:803円(税込)発売日:2015年04月10日

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