浅田 跡取りは、やはり子供のころから芸事をしなければならなかったんですか?
高橋 はい。座敷に挨拶に出なければならないですから。大きな揚屋やお茶屋と呼ばれるところは、だいたい男が芸を継いでます。
浅田 代々受け継がれてきたお名前はありますか?
高橋 ありますよ。何やったか忘れてしもうたけど(笑)。難しい名前なんです。祖父が継いではりました。父は養子やさかい、名前も芸も継いでません。
浅田 名前を守っていくというのは、自分で何かを作り上げるよりもずっと大変なことですよね。環境がどんどん変わっていく中でこちらでバーを開業されたとき、周囲からの反対や抵抗はなかったんですか。
高橋 全員反対! そのとき島原の歌舞練場で臨時の寄り合いが開かれて、「芸妓さん、太夫さんがいなくなったとき、歌舞練場がうちの面倒見てくれはりますか」と訊いたら、だれも返事をしなかった。「そな、させてもらいます」って帰ってきて。以来、三十三年。結局、うちみたいな店が他に三軒もできました。みんなうちが成功したのを見て商売するんです。で、うちが潰れたら笑いもん。
浅田 よくご決断なさいましたね。そうでなければ輪違屋を維持していけなかった。
高橋 島原の芸妓衆はみんな六十代。おばあちゃん芸妓衆です。昭和十八年生まれの最後の芸妓さんは、男の子ばかり生んで、娘に継がせることができなかった。娘がいれば、六つの六月六日からお稽古始めさせたんでしょうけどね。
浅田 芸妓さんを世襲というと不思議な感じを受けますが、考えれば当たり前ですよね。子供を産んでも、旦那さんの家で育てられるわけじゃないんですから。
高橋 女の子は芸妓さんにして、男の子なら里子です。
浅田 でも、こういうところで働けるというのは幸せですね。京都の文化の真っ只中ですよ。
高橋 角屋さんはほんまの美術館やけど、うちとこはまだ生きてる美術館ですから。
浅田 輪違屋の魂が、やっぱりご主人の中にあるのかな。いかに建物が立派に残っていても、ご主人でなければ輪違屋の精神は伝えられなかったかもしれませんね。輪違屋は過去だけでなく、今も呼吸を続けているからこそ心を衝(つ)き動かされるのです。かつて光彩を放った建物でも、それを残そうとする人間の意志が途切れてしまっては魂が抜けてしまう。僕は、今も太夫さんがいるこの家の持っている空気を小説に書きたかった。この今いる場所から歴史をたどれたから、小説を書くことができたんです。
高橋 なかなか島原を描ききれる作家の方はいないんですよ。
浅田 たぶん僕は島原を描くことができたぎりぎりの世代だと思う。よく残していただきました。日本国民を代表してお礼を申し上げます。
高橋 これ、映画化されますか?
浅田 あるかもしれません。
高橋 糸里役しようかしら。
浅田 ハハハハ。
高橋 音羽太夫じゃ、出た瞬間に殺されなならんしなあ。もし映画化されたら、時代考証に行きますよ。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。