べつの妓が持って来たとっくりの酒をじゃぶじゃぶと湯のみへ傾注してから、ことさらエヘンと咳払いして、あらためて語りだした。
是清は唐津を去り、東京にもどり、いろいろのことで糊口していた。がしかし海外経験が豊富で、なおかつ大学南校の教官までしたという異色の経歴を周囲がほうっておくわけもなく、
――文部省で、通訳をやらないか。
という誘いがあり、是清はそれに応じた。それから新設の農商務省へ移籍した。
農商務省ではいわゆる知的財産がらみの仕事にたずさわり、欧米も視察し、わずか数年にして特許局長兼東京農林学校長になるという大出世を遂げたのは、もともとの能力がまんざらでもなかったのだろう。大塚窪町に千五百坪の土地を買い、そのなかに西洋式と和式の家を建てたのも、この特許局長時代だった。
西郷従道、品川弥二郎、松方正義といったような大物政治家にもたよりにされ、順風満帆そのものの役人生活だったけれど、この人生には、どうしたことか、小成功の次にかならず大失敗がある。きっかけは、井上賢吉というペルー帰りの男がもたらした小さな二、三個の鉱石だった。
井上の言うには、
――私はいま、ペルーの首都リマに住んで、有名なドイツ人実業家ヘーレン氏のもとで働いております。ヘーレン氏はこのたび農地経営を思い立たれ、まずは荒蕪の土地をきりひらくべく農夫をあつめましたところ、何しろペルー人というのは元来が“がまん”できる性格ではなく、地味な仕事には向いていません。
――そこで氏は、よその国から農夫をあつめようと考えました。どこがいいか。日本人は、いまや勤勉なことでは世界的に有名です。氏は私に言いました。日本へ帰り、ぜひとも共同経営者をさがしてくれ。そうして数百人単位で農夫をよこしてくれと。高橋さん、いかがですか。
要するに、もうけ話である。
井上はそのとき、
「これも」
と鉱石を二、三個、置いて行った。
「銀の、原石です」
ごつごつした感じの、黒っぽい、そう言われなければ路傍にすてても惜しくないにちがいない無機物たち。日本ではほとんど誰も知らないペルーという国を紹介するための、標本というか、歴史資料のつもりらしかった。ペルーは約三百年前、まだスペインの植民地だったころ、厖大な銀を産出して世界史そのものを震撼させたことがあるのだ。
つまりはまあ、ペルーの名刺のようなもの。ところが日本側では、むしろその名刺のほうが注目をひいた。
是清がこころみに鉱山学会の泰斗・巌谷立太郎博士へ鑑定を依頼したところ、博士の返事が、
――おどろくべし。
というものだったからである。
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