書評

杉村三郎は見る、この世のすべてを。私立探偵としての活躍、本格的に開始!

文: 杉江松恋 (書評家)

『希望荘』(宮部みゆき 著)

『希望荘』(宮部みゆき 著)

 前述したように犯罪小説では個人と社会が対立する局面が描かれるが、作中に特定の視点人物を設定し、その限られた視野の中で起きる出来事を切り取って叙述するという試みが古来から行われてきた。一人称の私立探偵小説、狭義のハードボイルドと呼ばれるものがそれだ。「管見に入る」という言い方をする。せまい管の中から見る、つまり自分のわずかな見識から事態を判断するということで、謙遜の物言いであるが、一人称ハードボイルドはこの考え方に近い小説形式だ。能力には限界のある個人が、それを十分に弁えつつも自己のなすべきことをなす。だからこそ、その行動に読者は関心を持ち、主人公の判断を評価せずにはいられなくなるのだ。そうした作中人物と読者が共闘関係に入れる形を宮部は模索し続け、杉村三郎という解に達したのではないか。

 とはいえ、杉村三郎は、初めからそうした読者の代弁者たる地位を確立していたわけではない。彼の置かれた場所が特殊なものだったからである。山梨県のごく普通の農家出身である彼は、東京の大学を出て児童書を作る出版社に勤め始める。その過程において恋愛をし、結婚した。しかし彼が愛した今多菜穂子は、普通の女性ではなかったのである。大コンツェルンを率いる今多嘉親がその父親で、菜穂子と結婚するということは、彼の庇護下に入るということを意味した。杉村の結婚生活は「結婚前の私の年収を全部はたいても、消費税分が足りなくなるくらい」高価な輸入家具に囲まれて暮らすという恵まれたもので、周囲の口さがない者からは「逆玉の輿」などと揶揄されてもいる。いわば杉村は、巨大な人形の家(ドールハウス)の王子様だったのである。その彼が今多嘉親の依頼によってある男性の変死事件について調べ始めるのが、第一作『誰か Somebody』の物語だ。この時点ではまだ、管見に入る、どころか読者の側がドールハウスの窓を開けて居心地悪そうに暮らしている王子様を覗きこんでいるような状態だった。


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