書評

杉村三郎は見る、この世のすべてを。私立探偵としての活躍、本格的に開始!

文: 杉江松恋 (書評家)

『希望荘』(宮部みゆき 著)

『希望荘』(宮部みゆき 著)

 初期の長篇三作には共通項がある。人々を不幸に陥れているのが当の本人には無自覚な悪意であるということだ。我を押し通した結果他者を傷つけてしまう。人を人とも思わないような欲のかき方が回り回って誰かを破滅させる。そうした統御不可能な伝播の仕方をするものが、作中ではたびたび「毒」と呼ばれる。三部作の転換点である第二作『名もなき毒』には、元警察官の私立探偵・北見一郎が登場し、杉村に大きな影響を与える。この世にある毒の正体が知りたければ、自分でそれをつきとめろ。人形の家から首だけを出して見ている杉村に、彼はそう勧めたのである。杉村は先達の言葉を反芻し続けたであろう。第三作『ペテロの葬列』は、それまでは身辺の揉め事に取り組むだけであった杉村が、初めて社会全体を巻き込んだ犯罪と対決することを余儀なくされた作品だ。結果として彼は、自分が社会と向き合う者にならざるをえないことを悟り、それまでの人生と訣別する。

 これまで多くの一人称私立探偵小説が書かれてきたが、主人公がなぜその形で探偵になったのかということが長篇三作もの分量を使ってまず語られる物語は、杉村三郎シリーズが初めてだろう。過去の探偵たちはみな、いきなり自分の事務所で依頼客を待っている状態で登場したのだ。宮部がそうしたことには理由がある。前述のように杉村は結婚生活をドールハウスのような無菌状態で過ごした。それは、平和で健全な世界だった。今多嘉親に守られ、妻の菜穂子と娘・桃子からの愛を受ける。その生活で育まれたものは彼にとっての強い武器でもある。普通の暮らしにはそれにふさわしい幸せが訪れるべきであるといった、ごく当たり前の考えが杉村三郎の行動の基本にある。初期三部作において宮部は、杉村が社会との関係に目覚めていく過程を描きつつ、彼の中にある真っ当な心の形を固めていったのである。杉村三郎という平凡だが軸が決してぶれることがない人物の視点は、こうして確立された。実は、ここからが社会を「見る人」としての彼の物語の、本格的な始まりなのである。


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