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キーワードで読み解く「かわせみ」の魅力

キーワードで読み解く「かわせみ」の魅力

文:島内 景二 (国文学者)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

『青い服の女』(平岩弓枝 著)

〈花のように泣く女〉

 るいは、「女長兵衛」(幡随院長兵衛が女性になったような女伊達(おんなだて))と言われるほどに芯の強い女だが、幼なじみの東吾の前では、自分の弱さを思いっきりさらけだせた。その官能性が、東吾の心を激しくるいへと引き寄せる。

《「るいは、いくつになっても泣き虫なんだな」
 小火鉢の上で薬を煎じながら、東吾が笑う。
「そういえば、むかし、そんなに泣くとお嫁にもらってやらないと叱られましたわ」》

「水郷から来た女」
 

《これは、見事な藤であった。薄紫の大きな花房がいくつも垂れて、あるかなしかの風にかすかに揺れている。
 藤の花から東吾はるいを連想していた。(中略)
 久しく、るいの女躰に触れていないせいか、藤の花の甘い香の中にいるだけで、東吾はなやましい気分になってくる。》

「水郷から来た女」
 

《昼なのに、雨のせいで、店の中はひどく暗くなっていた。
 暗い土間に、るいの顔が夕顔の花のように浮んでいる。》

「女主人殺人事件」
 

 人の世の悲しい定めに泣く女。その姿を「花のようだ」と愛(いと)おしむ男がいて初めて、愛の奇跡が起きる。紆余曲折はあったものの、るいと東吾は、晴れて正式の夫婦として祝福される。

「かわせみ」シリーズは、東吾とるい、やはり東吾と「幼なじみ」だった畝源三郎とお千絵、麻生宗太郎と七重という三組の夫婦が、それぞれの幸福な家庭を作り上げる。彼らの間には、徐々に子どもが増えてゆく。

 かわせみの番頭の嘉助と、女中頭のお吉、腕利きの同心である源三郎のお手先を勤める、蕎麦屋の長助。彼らも、「かわせみ」ファミリーの一員である。東吾を温かく見守る兄の通之進には、実子はないが、香苗と相思相愛の家庭を築いている。

 だが運命は、何ともあやにくなもので、完璧な幸福に、ほんの少しの過剰や欠損が交じることがある。東吾の兄・通之進の養子となった麻太郎は、かつて東吾が、るい以外の女性との間に作った運命の子だった。麻太郎が「瞼の父」の東吾と再会を果たすまでの長い父子の物語は、「かわせみ」シリーズを貫くテーマである。幸福な家庭を知らない麻太郎は、どのように、るいの心の中に迎えられてゆくのだろうか。

〈空を舞う凧〉

 女であるるいが「花」なら、男の東吾は「凧」。東吾は、凧あげの名人だった。

 やがて、「かわせみ」シリーズでも、東吾の子どもたちの世代が成長してくる。次の時代を担う若者たちを、どう育てるか。ここで東吾は、自分の大きな愛を、彼らに伝えようとして、一緒に「凧」をあげることにする。

《幼馴染で兄弟のように親しくしている畝源三郎の一人息子の源太郎は、毎年、東吾に手伝ってもらって凧を作るのを楽しみにしている。(中略)
「来年の暮には、俺達の子に凧を作ってやるよ」
「男の子か、女の子か、わかりませんのに」
「女の子だっていいさ」
 麻生家の花世は女の子のくせに凧上げが上手だと東吾はいった。》

「冬の海」
 

 この時点で、るいは東吾の子を身ごもっており、千春が生まれる。東吾の子は麻太郎と千春の二人だが、るいの子は千春だけである。

 東吾は、男児である源太郎と麻太郎だけでなく、女児の花世と千春にも、凧のあげ方を教える。男にも女にも、新しい時代の空を飛んでほしいからである。

 凧が象徴するものは、精神の自由。そして、闊達さ。凧が舞い上がる自由の領域が「空」である。麻太郎に向かって、彼の父である東吾の人柄を、次のように語った女がいた。

《「その昔、私がまだ幼かった時分、あなたによく似たお方をおみかけした記憶がございます。そのお方は正義を守り、悪にきびしく、しかもお心は晴れた青空のように澄み切って明るく、優しいと、町の人々がお噂を申し上げて居りました」》

「抱卵の子」
 

 青空のような心の持ち主。それが、東吾だった。ただし、「空の申し子」のような東吾が、凧あげに習熟するには、るいの大きな力添えがあった。

《「おぼえているか、俺が凧をあげた時のこと」
 東吾が六つで、るいが七歳ぐらいだった幼い日、るいに凧を持たせておいて、東吾が走った。
 あいにく風がないのと、東吾の年齢にしては凧が立派すぎて思うように上らない。
 何度、東吾が走っても、るいが手をはなすと凧は地上へ落ちてしまった。
「俺はいつまでも同じことをくり返して、日が暮れて来てもやめなかった。お前は心細そうな顔をして、それでも何度でも俺のいう通りに重い凧を一生けんめい、拾っては持ち、背のびをして高く持ち上げ、なんとか空にとばそうと夢中になっていた」
 凧と風で髪がこわれ、ころんだり、走ったりで泥だらけになりながら、夜になるまで東吾について来たるいの姿を、東吾は思い出しているようであった。》

「幼なじみ」
 

 自由児である東吾が、幕末期の江戸の大地を疾走し、大空を飛翔できるのは、るいの支えがあってこそだった。東吾がるいを、るいが東吾を、お互いに支え合っていたのだ。

文春文庫
青い服の女
新・御宿かわせみ7
平岩弓枝

定価:704円(税込)発売日:2019年10月09日

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