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キーワードで読み解く「かわせみ」の魅力

キーワードで読み解く「かわせみ」の魅力

文:島内 景二 (国文学者)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

『青い服の女』(平岩弓枝 著)

《「あたしは心に重荷を抱えている人が好きです」
 ぽつりと千春がいった。
「お母様も大きな重荷を抱えて、それでも、力一杯、生きてお出でなの。千春はそんなお母様が大好きです」》

「築地居留地の事件」
 

 千春の「お母様」は、むろん、るい。るいは、愛する東吾の不在という「重荷」を背負って、開化の時代を生きている。そういう千春も、父である東吾の不在に苦しんでいる。

 千春の言葉を聞いている側の麻太郎は、どうか。彼は、六歳の時に、実の母と死に別れた。麻太郎は洋行以来の友人である清野凜太郎に、その時の悲しみを打ち明けている。

《麻太郎が目許を赤くした。
「人は本当の悲痛にぶつかった時、泣かないものらしいよ。わたしがそうだった」
 自分を産んでくれた母の死を知った時だと麻太郎はかすれた声でいった。》

「蘭陵王の恋」
 

 消えることのない心のトラウマ。畝源太郎も、父である源三郎が横死した過去を背負っている。源三郎は、麻生花世の母(七重)、弟(小太郎)、祖父(源右衛門)一家が惨殺されるという傷ましい事件の探索中に、下手人の一味に殺害されたのだった。

 父親(宗太郎)以外の家族を失った花世の「重荷」は、あまりにも大きい。けれども、大きなトラウマを抱えているからこそ、苦しみや悲しみのない時代を作ろうという気持ちが、彼らに湧いてくる。そして、花世と源太郎は、「夫婦対等」の新しい夫婦のあり方を模索してゆく。

「かわせみ」シリーズの最初にして最後の長編小説と銘打たれた『お伊勢まいり』では、多くの人の「心の重荷」となっていた事件について、大きな決着が付いた。だが、これでトラウマがなくなるわけではない。不在の東吾という巨大なトラウマは、なくなりようがないからだ。けれども、トラウマを「新しい時代を切り拓く意欲」へと昇華させることはできる。それが、新しい時代にふさわしい「家族のかたち」や「愛のかたち」なのだ。ここに、平岩弓枝の祈りがある。

〈天女・女神〉

「かわせみ」の第三期で、神林東吾は「かくも長き不在」であり続ける。東吾の帰還を待つるいの心中は、いかばかりか。「お嬢さん」から「御新造様」へと成長してきたるいは、開化の時代を描く「新・かわせみ」では、「天女」のイメージを帯びることがある。麻太郎が勤務しているバーンズ診療所のリチャード・バーンズは、大のるいファンで、親日家の彼の目には、「古き良き日本」を体現した女性として、るいが見えている。

《「バーンズ先生、わたしの叔母です」
 麻太郎が紹介し、バーンズ医師は感嘆の目で、るいを眺めた。
「これは美しい。麻太郎君には、こんな天女のような叔母さんが居られたのですか」》

「築地居留地の事件」
 

《バーンズ先生はすっかり「かわせみ」が気に入ってしまい、患家へ行く度に日本の宿屋の話をしているらしい。
「なにしろ、女神のような美しいマダムがいて、ゆったりした部屋で珍らしい料理が出る。日本のホテルというのが、あんなにくつろげる場所とは思わなかったね」》

「蝶丸屋おりん」
 

 麻太郎には、生みの母、養母(通之進の妻の香苗)、そして「父の妻」であるるいという、三人の母がいる。だが彼にとっての真の母は、るいである。

 シリーズの第一期と第二期で、るいは「かわせみ」に宿泊する多くの人々の重荷を取り除いてきた。その重荷は、東吾との愛の力で、るいの心に滞留することなく、消えていたが、第三期では、東吾は不在である。るいは、麻太郎や千春たちを見守る「母の愛」の力で、人々から取り除いた重荷を、自分が背負い込むことなく消し去っているのだろう。他人には女神とも見えるるいの心の内側を、千春や麻太郎は知っている。

 麻太郎は、東吾の若返った分身として、明治の新時代を駆け抜ける。彼の心は、憧れの父・東吾と、一体化している。「かわせみ」シリーズの読者の多くは、行方不明の東吾が、もしも明治の御代を生きたら、しかも若返って生きたとしたら、どういう青春を謳歌するか、知りたいと願っている。その夢を叶えてくれるのが、麻太郎である。

「るいと東吾」の男女が、対等な二人主人公の物語だった「かわせみ」は、「女神であるるいが、若き神々である麻太郎たちの成長を見守る」枠組みへと変わった。

「かわせみ」の七不思議の一つとして、るいの正確な年齢がわからないことがある。また、シリーズ当初から高齢であった嘉助が、いつまでも健在なのも七不思議である。世の中にあふれている「心の重荷」を消し去る人は、いつの時代にも必要とされる。だから、いつまでも年を取らない人がいるのかもしれない。

文春文庫
青い服の女
新・御宿かわせみ7
平岩弓枝

定価:704円(税込)発売日:2019年10月09日

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