フィクションとしての小説であれば、もしかするともっとわかりやすい希望を求められるのかもしれないが、著者はそのような作品を書こうとはしてこなかった。手話通訳士を主人公に、ろう者と手話をめぐる現実を描いた著者の代表作「デフ・ヴォイス」シリーズと同様、新聞の見出しや片手間のニュースだけでは見えにくい社会の深部を、物語の持つ現在性をとおして、“いまあなたの目の前で起こっていること”として、一人でも多くの人に見せようとする。物語の力で社会と読者をつなぐことができると、おそらく著者自身が強く信じているのだ。
〈血はもうとっくに入れ替わった。
今の俺は、細胞から全部俺のもんだ。〉
河原は虐待を受けて育ち、シバリは無戸籍のまま、路上を住処にして生きてきた。そのシバリが、人間の細胞は何年かで入れ替わるらしいと聞き、河原に呟いたのがこの台詞だ。虐待は世代間で連鎖しやすいと言われるが、シバリの言葉は物語の中でも、この物語に出会った自分の中でも、使いまわされた定説を力強く撥ねのける。
正義や正論を、まるで自分があつらえた武器のようにふりかざすだけでは、もうこの現実と戦うことはできない。物語の言葉と、その言葉が導く想像力が、きっと社会と人びとをつなぐ一助になると、著者と同じように信じたい。そのための力を、この物語がくれたと思っている。
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