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始皇帝は“暴君”ではなく“名君”だった!? 驚きの政治体制とは

始皇帝は“暴君”ではなく“名君”だった!? 驚きの政治体制とは

文:冨谷 至 (京都大学名誉教授)

『始皇帝 中華帝国の開祖』(安能 務 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

『始皇帝 中華帝国の開祖』(安能 務 著)

 紀元前二一〇年、始皇帝は外遊先で発病して死亡する。彼には二十人余りの子がいた。長男の扶蘇は人格者であったが、しばしば始皇帝の法治政治に異を唱えたことから、長城の守備隊長として左遷されていた。対して第十八番目の子、胡亥は特別に可愛がられて、外遊にも同行が許されていた。臨終に際して、始皇帝は、一通の遺書を長男扶蘇に残した。

「兵を蒙恬にゆだねて、急ぎ咸陽にもどり、棺を迎えて葬儀をとりおこなえ」と。

 扶蘇に葬儀を命じたということは、皇位の継承を認めたことに他ならず、始皇帝は扶蘇の才能を認めて判断を下したとも言えよう。

 件の遺書は、封をされたが、まだ使者に手渡されないうちに始皇帝は息を引きとってしまう。遺言書と封に使う皇帝の印は秘書官の趙高の手に残った。この微妙な状況が、以後の歴史を大きく変えてしまう原因をつくる。

 遺言書をおのが手に納めて、趙高は胡亥に耳打ちする。

「お上は逝去されました。扶蘇さまに遺言を残されただけで、他のお子様にはなにひとつご配慮がありません。さて、いかが致したものでしょうな。いまや、天下の去就は、私と丞相と、そしてあなたさまの胸ひとつ。ここは、ひとつよくお考えを」

文春文庫
始皇帝
中華帝国の開祖
安能務

定価:902円(税込)発売日:2019年11月07日

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