『奇説無惨絵条々』谷津矢車
──谷津矢車さんの作品は、これまでも本屋が選ぶ時代小説の候補作に挙がっていて、常に高い評価を受けています。今回の『奇説無惨絵条々』は著者初の短篇集。一話一話は当代きっての歌舞伎作者・河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)のために、浮世絵師から新聞記者に転身した落合芳幾(おちあいよしいく)が探し出した、江戸の猟奇的な事件を扱った「戯作」(通俗小説)だったという形がとられました。
昼間 不思議な作品で江戸の怖い話が淡々と綴られていくんですが、それが日本独特の湿っぽい感じでありながら非常に美しい。登場人物の芳幾と同じように吸い込まれるようにして一気に読んでしまいました。
最後に「事実と真実(ほんとう)は別物」という言葉があって、おそらく谷津さんはこれを言いたかったんじゃないか……過去の候補作に上がった『蔦屋(つたや)』(学研プラス)も『おもちゃ絵芳藤(よしふじ)』(文藝春秋)でも、谷津さんは正しいことを正しく伝えることだけを良しとしない、クリエイター魂を描いていましたが、今回も最後の数ページに谷津さんのメッセージが強く込められている気がしました。少しジャンル分けの難しい作品ですけどね。
阿久津 時代的には明治の初期ですが、まだ庶民の暮らしぶりはそのまま江戸時代を反映していることもよく分かります。五つの物語はかなり残酷で、人間のドロッとした部分を書きながら、それが不快に感じられないという点も好きです。
田口 僕もこの作品は本当におもしろかったです。二点すばらしいところがあって、ひとつは短篇小説として五つ独立していたものを、最後の一話で連作として読めるようにしてしまう巧さ。谷津さんはおそらくそれを計算していらっしゃるはずで、その細やかさに震えました。
もうひとつ感心させられたのは、「歴史」と「物語」をどう区別するかという立ち位置が、きちんと書かれていることです。江戸時代からたった二十年しか経っていないにもかかわらず、当時の事件を舞台の題材にするためには時代考証が必要だとされた時、真実とをどのような形で事実として折り合わせていくのか。それを小説でしか書けない構造で、最後に「そうだったのか!?」と見事に浮かび上がらせる。そういった部分をフィーチャーして売れば、メチャクチャ売れる気がしました。
昼間 それがタイトルと装丁から伝わりづらいのが残念ですね。
田口 我々は時代が変わることを平成、令和と体験していますが、やはり昭和が終わった時にはそれを十年は引きずっていた気がするんです。江戸から明治に変わって大きな変革はあったけれど、その中でのと実(まこと)は一体なんだろうかと問われる部分でも、今の読者の共感を得やすいはずです。
平井 確かに時代小説なんですけれど、それだけでは勿体ない。今回の四作品の中でも、エンターテインメント特別賞にしたいと思いました。ひとつひとつの戯作も、まず幽霊の刺青を入れられる女の話から背筋がヒヤッとして、それぞれの話にはさみこまれる幕間もおもしろい。それだけじゃなくて、皆さんがおっしゃられたように、二二三ページの「事実は所詮上澄みだから、この本みたいに事実でない真実を書き入れてやらないと張りぼてになっちまう」という一節を読んで、これはすべての小説に言えることだ、とハッとさせられました。
市川 角川のホラー小説大賞や、イヤミス系を好む女性のお客さまにもお勧めできるタイトルだと思いました。普段は歴史時代ものを読んでない方に向けて、戯作よりも「イヤミス」のニュアンスでアプローチしてみては?
木下昌輝(きのしたまさき)さんの『宇喜多の捨て嫁』(文春文庫)を店頭で仕掛けた時、普通なら「ピカレスクロマン」と押し出すと思うんですが、それだと小説を読んでいる人にしか通じない。「ダークヒーロー小説」と目立たせて、「『バットマン』のジョーカーみたいな感じの小説です」という文言をPOPには書いて、これまで一二〇〇冊近く売れています。
田口 『奇説無惨絵条々』が文庫になった時には大ブレイクするような文句を、市川さんに負けないように今から考えておかないと(笑)。