- 2020.04.29
- 書評
降格、閑職、病、困った親族、嫡男の死 再起を挑む御曹司の「御奉公」物語
文:山内 昌之 (武蔵野大学国際総合研究所特任教授・歴史学者)
『名門譜代大名・酒井忠挙の奮闘』(福留 真紀)
吉宗は幕府政治の故実に詳しい忠挙をたびたび招くなど厚遇した。その諮問は、政務・儀式・人事から旗本・御家人の在り方、さては風俗にまで及び、忠挙の答えには「足高の制」のヒントも含まれていたという。年を重ねて耳も不自由になった忠挙は、吉宗の召し出しにも遠慮するそぶりを見せた。すると吉宗は他者を介して、他の者とは違う存在である、もし若く健康ならば、毎日でも呼び出し、政事を論ずべき者と評価して、まだ尋ねたいことも沢山あるのだから、春には努めて出仕するようにとの沙汰をした。
「忠挙の不遇は、吉宗政権期において報われた」という福留氏の感想はまことに正しい。戦陣でも上洛でも旗本の先頭を切って奉公することを本望本懐と信じてきた忠挙にとって、家康の再来と目された吉宗の相談にあずかったことは、門閥譜代あるいは譜代筆頭の面目躍如というところだろう。吉宗の恩顧は、忠挙が思い描いてきた譜代の本領、「かけ走り」の本質を将軍がよく理解してくれたという感謝の念を強める一方だった。数年来の厚遇は、生涯を尽くしても感謝に足らないという忠挙の言葉は偽りではない。吉宗の言葉を「身にも命にも代え難く思います」と感謝する忠挙の心こそ、著者の共感と読者の感動にも通じる。七十三歳で世を去った忠挙の花道を飾ってくれたのは吉宗である、と。人間関係の洞察力は文学者だけでなく歴史学者にも不可欠のセンスであることを本書は教えてくれる。
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