- 2020.04.29
- 書評
降格、閑職、病、困った親族、嫡男の死 再起を挑む御曹司の「御奉公」物語
文:山内 昌之 (武蔵野大学国際総合研究所特任教授・歴史学者)
『名門譜代大名・酒井忠挙の奮闘』(福留 真紀)
しかし世に言われるほど綱吉は狭量でなかった。それは、忠挙を貞享四年(一六八七)に奏者番兼寺社奉行として最初の役職に登用したからだ。しかも綱吉は、下からの伺いを認めて町方の女房を死罪とした事件の再吟味を行った忠挙の判断を認める度量をもっていた。著者は、忠挙を「きまじめな人柄」とするが、この律義さがあとあと万事に効いてくるのだ。『寛政重修諸家譜』は忠挙を「行跡篤実」と表現している(第二、巻五十九)。しかし忠挙には不運もつきまとう。頬の腫物がひどく飲食もままならぬほどの激痛が走る難病にかかったからだ。綱吉は箱根・塔ノ沢で療養しても体調が芳しくない忠挙の辞職を認め、領地の厩橋に近い伊香保で湯治をさせようとした。それでも天運はまだ忠挙についている。一つ目は忠挙の四女・槌姫と柳沢吉保の嫡子・吉里との間に縁談が持ち上がったことだ。綱吉の取り持ちであろう。二つ目は、忠挙が大留守居という「重職」に補せられたことだ。綱吉の寵臣・吉保と親戚になるのは、本来の家格からすればありえぬ縁談だったが、酒井家の復活にこれほど心強い援軍はない。福留氏は、忠挙にとってこの姻戚関係が「幕府対策への有効なルートの確保」を意味し、柳沢には「新興大名の身で名門譜代大名と姻戚関係」になる点で「双方メリットがあった」と説明するが、まことにその通りであろう。
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