木谷道場には『本因坊全集』があり、碁の最初の勉強として、棋譜を研究したり定石を学んだりするのに使っていました。道策(どうさく)、丈和(じょうわ)あたりの棋譜ももちろん載っているのですが、私たちの世代は、秀和(しゅうわ)、秀策(しゅうさく)あたりを勉強するのが一般的でした。秀和、秀策は突出した天才で、近代碁の夜明けのような碁を打った人たちです。
特に、秀和の碁は革命的でした。飄々と打っていき、細かいところを捨て石にして、盤全体を見ていく。これはそれまでになかった碁です。本作でも、「戦わずして勝つ碁」、「強いのか弱いのかわからない、不思議な碁」と書かれています。秀策は、近代碁の中でも圧倒的な評価を得ています。しかし秀策は秀和という天才がいたからこそ登場した棋士であるはずで、さらに言えば、秀和は、幻庵、丈和という二人の天才が残した膨大な棋譜を見て修行したはずです。
幻庵、丈和の碁は「勝ち抜く」碁ですが、この二人は、いわば江戸時代の碁と近代碁のターニングポイントになった棋士だと考えられます。そして、秀和は大天才で革命児なのですが、その秀和の時代より確実に情報が少なかった時代の棋士である幻庵、丈和もまた、秀和に負けず劣らない才能だったことは間違いありません。
重要なのは、幻庵と丈和が、十一歳差ではありますが、同時代に存在したという点です。その上の世代の、元丈(げんじょう)・知得(ちとく)時代にも言えることですが、家元制度の下でのことですから、そもそもライバルが少ない。そんな中で同じ力量のライバル─―幻庵と丈和は「悪敵手」と表現されていますが─―に出会い、生涯で何十回も戦うこと自体がまた奇跡なのであり、この二人のどちらかが欠けてもその後の囲碁の発展はなかったかもしれません。
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