書評

江戸時代の天才囲碁棋士たちは、なぜ命を賭けて闘ったか

文: 趙 治勲 (名誉名人・二十五世本因坊)

『幻庵』(百田 尚樹)

『幻庵 上』(百田 尚樹)

 さて、百田さんは江戸時代の華麗なる天才囲碁棋士たちの中でも、井上家十世当主(のち十一世)の幻庵因碩(げんなんいんせき。以後、幻庵)を主人公に選びました。彼は自著『囲碁妙伝(いごみょうでん)』の「学碁練兵惣概」に、「余いまだ何心なき六歳の秋より、不幸にしてこの芸を覚え始めつる」と記しています。江戸時代は数え年ですから、六歳は今の五歳です。私も六歳で韓国から日本にやってきて木谷道場に入門しましたから、境遇はよく似ています。幻庵は「不幸にして」と自ら韜晦(とうかい)していますが、私の場合は記憶も曖昧で、何とも言いかねるところがあります。しかし、少なくともさほどの幸福感はないので、幻庵の気持ちは理解できます。

『囲碁妙伝(いごみょうでん)』(幻庵因碩)

 私が門下になった翌日に、木谷一門百段突破祝賀会が開かれ、そのアトラクションの一つとして当時六段だった林海峰(りん・かいほう)先生(現・名誉天元)に五子置きで打ち、中押し(ちゅうおし。囲碁において、地合いの差が大きく開いて優劣がはっきりした際に、終局まで打たずに対局の途中で勝負が決まること)で勝ちました。幻庵の場合は、本作では、井上家外家の服部家当主・因淑(いんしゅく)が三人の弟子志願者と七子置きで打ち、吉之助(きちのすけ)という名前だった幼い日の幻庵のヨミの鋭さを認め、内弟子に取ることを許す、という物語になっています。この時の棋譜は、残念ながら残っていません。同じ年齢で幻庵と比較すれば、たぶん私の方が強かったと思いますが、それは私の時代には棋譜も情報も多く存在していたからであって、何もない時代に「鬼因徹(おにいんてつ。因徹は服部因淑の若いころの名前。江戸時代の囲碁棋士は、名前を頻繁に変えた)」とまで呼ばれた人が認めたわけですから、才能という点では幻庵の方がずっと優れていたことでしょう。幻庵の最初の棋譜というものを、ぜひ見てみたかったです。

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