村山 彼が献身的に私の日常を支えてくれ、仕事のマネジメントもしてくれたことに対して、いまでも感謝の気持ちはあるんです。一方で、やっぱり小説を書くのは私自身なわけで、いくら大切なパートナーから「こういう小説を書いて」と導かれても、自分のモチベーションが刺激されないと書けない。そのことに当時の旦那さんはなかなか気づいてくれなかったんですね。いま考えても、あの決裂がなかったら、私はずっと千葉の鴨川で田舎暮らしを続け、青春恋愛小説を書いていたか、モチベーションを見出せなくて作家をやめちゃってたと思う。
辻村 旦那さんとの行き違いの中には、青春小説の書き手であった村山さんが、大人の恋愛を書こうとすることに対する考え方の違いもあったんですか。
村山 ありましたね。ちょうど直木賞受賞後の第1作を、受賞の1年後に出したんだけれど、それが『天使の卵』の続編の『天使の梯子』(2004年)だったんです。私が最初に書いた原稿は、主人公の男子大学生とかつて憧れた女性教師との恋愛が、身体の関係から始まる――というものでした。当時の旦那さんはそれが絶対的にバツだった。結局、かなり彼の意見を容れて、第1章を丸ごと書き直したんですけれど、彼に言わせると、『おいコー』や『天使の卵』を読んできてくれた読者にとって、村山由佳は性愛を描く作家じゃないと。「ブランディングとして失敗だ」「誰もそんな作品を望んでない」とまで言われて、ものすごく激しいケンカをして。ワンワン泣いて、もう家を出ようと思い詰めたけれど、その時は結局、私の側が折れた。ただ、一生こうやって彼の意見を呑んでいかなきゃいけないのかな、私がこれから自分の書きたいものを書こうとした時、編集者に見せるよりも前にこの人を説得しないと表には出せないのかな、と思うと、目の前が真っ暗になったんです。
辻村 原稿を旦那さんに読んでもらっていたことも、すごく驚きました。
村山 デビュー前に書いた童話の頃からそうしてきたので、習慣になってしまってたんですよ。ある時期までは彼に見てもらって「面白い、もっと書きなよ」と言ってもらえるのが励みにもなっていたんです。でも、初めがそうだったとしても、作家はどんどん殻を脱ぎ捨てて変わっていかなくちゃいけないということを、彼はわかってくれなかった。私も、もっと断固とした態度で訴え続ければよかったのかもしれないけれど……。
辻村 その、旦那さんとのことを小説に書こうと思われたのには、何かきっかけがあったんですか。
村山 タイミング的に本当に幸運だったと思うんだけれども、ちょうど週刊文春に初めての連載をというお話をいただいていて。その頃の私は、1回、家を飛び出して、東京で暮らしながら、鴨川の家にも時々帰るという生活だったんです。何を書こうかと、担当の女性編集者と話をする中で、夫がいない時に2人して鴨川の家でしばらく寝起きしてミーティングして、ここまでの経緯や恋愛の話などもしているうちに、ふっと――ほんとあれ、どうしてでしょうね。2人同時に「これを書こうか」って。
辻村 ああ……すごい!
村山 鴨川の家の庭にあったプールに入って、担当と2人、泳いでいる時でした。水が冷たくて、唇を紫色にしながら「書いちゃおうか」「書いちゃいましょうよ」と。そこからはもう一気に『ダブル・ファンタジー』の世界にのめり込んだ感じです。いまでもあの啓示めいた瞬間のことは覚えていますね。
■自分を「発見」した瞬間
村山 辻村さんは自分の書くものの世界が変わったと感じた瞬間はあります?
辻村 「母娘の確執」というテーマをはっきり自覚して描けたかなと感じたのは、最初に直木賞の候補になった『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』(2009年)ですね。デビューしてしばらく地元の山梨でOLをしながら小説を書いていたんですけど、専業になって東京に出てきて、初めて山梨と距離ができたら、地方都市の女子が抱える母娘問題とか、女子コミュニティで居場所がなくなる苦しさとか、女子のモテ格差などを客観視することができた気がして。
それまで私は、講談社ノベルスのメフィスト賞でデビューしたこともあって、「ミステリーを書く」という強烈な自負がありました。プロット重視、驚き重視で、自分は、社会的なテーマとか人の感情を描くタイプの作家ではないと思っていたんですよ。
村山 へえ~、意外!
辻村 でも、『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』を書いて、自分の新しい引き出しを初めて発見できたような……。
村山 なるほど、自分にはこんなものも書けるのかと。
辻村 そうなんです。書いてみるまでは、自分でも「辻村深月らしさ」って何なのか、よくわかってなかったんだなと思いました。そのあたりから、ジャンルを超えていろんな読者に読んでもらえるようになったりもして。
村山 そうやって作品の幅を広げていくと、デビューの頃から読んでくれている読者の反応はどうですか?
辻村 同年代の読者が多かったので、私と同じように年齢を重ねて、大人向けの小説も、自分のこととして読み続けてくれている感じがします。
村山 それは幸せなことですね。読者と一緒に年を取れるって最高だから。