辻村 すごくうれしかったのが、30代半ばの頃かな、読者からいただいたお手紙に、「私は辻村さんの本を楽しく読んでいるけれど、1つだけ後悔しているのが、辻村さんと同じタイミングで結婚して、同じタイミングで出産しなかったことです」と書いてあって、驚いて。
村山 どういうことなんだろう?
辻村 結婚や出産を描いた小説を読むと「もちろん自分が経験してなくても主人公の気持ちに肉薄して読めるけれど、もし、自分が主人公と同じ苦しみを経験していたら、どれだけ深く読めただろうかと思う」と書いてくれてた。それくらい自分の人生に引きつけて、私の小説を待っていてくれる人がいるんだと思ったら、本当に幸せなことだなと。
村山 直木賞の後は? 次は何を書こうみたいな悩みはありました?
辻村 『鍵のない夢を見る』が、「感動して泣ける」とか「読後感が爽快」というタイプの小説ではないので、ここからキャッチーな小説を3作続けて書かなければ、と思いました(笑)。
村山 私、こういうのだけじゃないよって?(笑)
辻村 はい。読者も心配してくれて、受賞後のサイン会に来てくれた方が、「直木賞はうれしいけど、辻村さんがこういう作家だと思われないか心配で」って言ってくれたり。
村山 ありがたいねえ(笑)。
辻村 その後、初期みたいな小説を意識して書こうとして、なかなか思うようにいかない苦しみはあったかもしれません。サイン会に来てくれる読者から「もう初期のようなものは書かないんですか?」って聞かれることがすごく増えて。「書きますから、待っててくださいね」と約束して、中学生や高校生を主人公にして書いたんです。もちろんその時その時に悔いのないものを書くんですけど、デビュー直後の切実さと、いまの私の切実さとは少し異なっていて、何か違うなと思った時期がありました。
そんな時、デビュー直後に担当してくれた編集者と久しぶりにまた仕事をすることになって、彼女が一緒に走ってくれたおかげで『かがみの孤城』(2017年)の構想ができました。あの小説は、初期作品のようでいて初期をアップデートできた手応えがあった。本屋大賞もいただけて、編集者にはとても感謝してるし、読者との約束を果たせて、一気に自由になれた感じがしました。
■身体感覚をどう言葉に?
村山 辻村さんは、身体感覚を言葉にする時、「これしかない」という表現をなさいますよね。たとえば「芹葉大学の夢と殺人」の中に、雄大くんから無理やり指を入れられた未玖が、気持ちよくもないのにいっぺんに絶頂に達せさせられる描写があります。あの身体が「ひりひり痛む」描写なんて、読んでいて、うわぁ、すごいと思った。
辻村 たぶん小説で初めて描いた本格的なセックスシーンです。
村山 登場人物のその瞬間の心情を映し出すような「痛み」の感覚を言葉にする時って、同じ感情にかられた時の自分の痛みをもういちど自分の体でもってよみがえらせないと、言葉に置き換えられないと思うんです。私自身の経験から言っても、これ、すごく疲労困憊する作業で、辻村さんの小説を読むと、「これは書いていて体力使うだろうな」とか「ぐったり疲れるんじゃないかな」と思う。でも、だからこその一文だよな、という描写がいくつもありました。
辻村 「芹葉大学」は特に、普通の人が表に出さないこと、秘め事の部分の描写が多くて。セックスの行為の順序がどうとか、2人の間ではこのやり方が定型だとか、そういうシーンを書く時には、あいだに時間を置いたら体に入れた感覚が出て行っちゃうので、もう一気呵成でした。110枚くらいの中編ですけど、書き始めたら3日で、その3日間は本当に疲れ果てる感じだったと思います。
村山 やっぱりそうだよね。辻村さんは、絶対、性愛描写のポテンシャルがすごいと思う。
辻村 うれしい(笑)。村山さんにポテンシャルを感じてもらえた。
村山 性愛のシーンって、練習すれば誰でも書けるわけじゃなく、書ける人と書けない人がはっきり分かたれている気がするんです。辻村さんの小説には、まだまだ鉱脈が埋まっていますよ。
辻村 ああ、うれしい……。
村山 強烈なものを望みます。
辻村 私に書けるでしょうか?
村山 書ける。絶対に書けるし読みたいよ!