
二人は、鮫山の机から五メートルばかり離れたところで立ったまま話を続ける。
「絵空事ですか。本人の前でそんなふうにおっしゃっても、有栖川さんは傷ついたりしないでしょうね。あの人は、絵空事を書こうとして書いているようです。一種のファンタジーと言うたらええんでしょうか。火村先生と一緒に捜査に加わり、現実を知りながら自作には流用しません。作品で描こうとしてるのは、違うものなんでしょう。おかげで、安心して有栖川さんに現場に立ってもらえます」
「取材がてら火村先生のアシスタントを務めているわけではない、とは聞いています。では、わざわざ何のために、という疑念は拭えません。小説家というのは、そんなに暇ではないでしょう?」
「あの人なりに忙しい時間を割いてきてくれているのだろう、と思います。直接の取材にはならずとも、ミステリ作家として創作をする上での刺激が得られるのかもしれません。最大の理由は、火村先生が有栖川さんを必要としていることでしょう」
「優秀な右腕として?」
警部は、禿げ上がった頭をひと撫でする。
「捜査が壁にぶつかった時、色んな仮説を出してくれます。それが的中していたことはないんですけど……そこがいいのかもしれません」
説明が苦しいところだな、と思いながら鮫山は聞いていたが、署長の反応は意外なものだった。
「なるほど」
「お判りいただけましたか? 私の雑な説明で」
あっさり納得してもらえて、船曳は戸惑っている。
「呑み込めた。要するに、有栖川さんという人はトップバッターなんでしょう。とにかくバットを振って空振りの三振をする。火村先生はネクストバッターズサークルでじーっとそれを観察していて、相手投手の球筋を見極めてからバッターボックスに入り、ホームランを打つ。そういうコンビネーションだとにらんだけど、違う?」
「見事な洞察です」
感心する警部。わざとらしく資料のページをめくりながら、鮫山も小さく頷いた。
「判りやすい喩えでした。署長は野球がお好きなんですか? ちなみに有栖川さんはタイガースファンです」
「今年はコロナで春のセンバツも開催できなくて残念。プロ野球も中途半端な形になってしまったし。――私の家は代々近鉄沿線なので、祖父も父もバファローズファンでした。私もね。親会社が近鉄でなくなったけれど」
署長は腕組みをして、さらに言う。
「有栖川さんの小説が、ファンタジーみたいなものだということは承知しました。火村先生の助けになることも。さぞかし名コンビなんでしょうね。噂のお二人に会えるのが楽しみです」
この口振りからすると、かねてあのコンビに興味があったらしい。
「名コンビと言っていいでしょう。私は何度もお二人が難事件を解決に導くのを見てきました。時には、それこそファンタジーに巻き込まれた気分になったものです」
船曳のこの言にも鮫山は同意する。本職の刑事として、先を越されて口惜しかったことはない。アプローチの仕方がまるで異なるので、悔しいとさえ感じさせないのだ。
「すべては犯罪社会学の研究のためなので、捜査に参加するのは火村先生にとってフィールドワークだそうですね。部長どころか本部長もそれを認めている」
「はい。京都府警、兵庫県警の本部長も。異動にあたっては申し送り事項になっています」
「それで事件が早期に解決するのなら、みんなにとっても社会にとってもプラスということですか。まぁ、お手並みをとくと拝見しましょう。しかし、今度の事件は一筋縄でいかないかもしれませんよ」
「私にもよくない感触があるんです。それで先生方に声をお掛けしました」
この続きは、「別冊文藝春秋」7月号に掲載されています。