前作を読まれた方々はすでにご存じだろうが、本書の著者イアン・W・トールのプロフィールをここで簡単にご紹介しよう。少年時代からアメリカ東部ニューイングランドやロードアイランドの沖でヨット・セイリングに親しみ、帆船時代の船乗りたちに思いを馳せた経験を持つ。父親の仕事の関係で一九七八年に来日、東京都南麻布で五年間暮らし、インターナショナルスクールで中学時代を送った。この時期に太平洋戦争への関心を抱く。
一九八九年、ジョージタウン大学で米国史の学士号を得て、政治の世界で補佐役やスピーチライターをつとめたのち、一九九五年、ハーヴァード大学のケネディ行政大学院で公共政策学修士号を授与される。その後、連邦準備制度理事会やウォールストリートで五年間、アナリストをつとめる。
海軍史に本格的に興味を抱くようになったのは、一九九〇年代前半に、映画〈マスター・アンド・コマンダー〉で有名なイギリスの海洋作家パトリック・オブライアンの〈英国海軍の雄ジャック・オーブリー〉シリーズを手にしたことで、二〇〇二年から、米国海軍草創期の歴史を作った六隻のフリゲート艦を取り上げたノンフィクション Six Frigates: The Epic History of the Founding of the U.S. Navy の取材と執筆に着手する。二〇〇六年に刊行されたこの処女作はアメリカで大いに賞賛され、名誉あるサミュエル・エリオット・モリソン賞、ウィリアム・E・コルビー賞を受賞し、《ニューヨーク・タイムズ》の「エディターズ・チョイス」の一冊にも選ばれた。
第二作『太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで』で太平洋戦争に目を向けた理由は、アメリカにおける第二次世界大戦の文献がヨーロッパ戦線偏重、そして海戦より陸戦偏重であること。そして、近年アメリカでは、映画〈父親たちの星条旗〉や〈硫黄島からの手紙〉、テレビのミニシリーズ〈ザ・パシフィック〉の影響で、若い世代は真珠湾攻撃は知っていても、太平洋戦争が陸戦主体の戦いだったという誤った印象を抱き、海戦のことはほとんど認識されていない状況を憂えたからだった。
『太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで』は、刊行後たちまち米主要紙で大きな話題となり、一般ノンフィクション部門で北カリフォルニア図書賞を受賞した。《ウォールストリート・ジャーナル》は「われわれが負け犬だったとき」という見出しで、「展開が速くて、じつにおもしろく書かれた、迫真の物語」と賞賛した。また、《ニューヨーク・タイムズ》は、「太平洋戦争の最初の六カ月についての有益で入念に構築された歴史ノンフィクション……。トールは、戦争を詳細に物語ったり、高官や平の重要な人物を簡潔に描写することを得意としている」と評した。
現在は息子ヘンリーとともにサンフランシスコで暮らし、執筆のかたわら、《ニューヨーク・タイムズ・ブック・レヴュー》に定期的に書評を寄せたり、国防総省や海軍大学、海軍兵学校のような政府機関や博物館で講演を行なうほか、テレビやラジオでインタビューを受けている。なお、本書につづく太平洋戦争三部作の最終巻 Twilight of the Gods: War in the Western Pacific, 1944-45 は二〇一八年にアメリカでノートン社から、日本でも続いて文藝春秋で刊行される予定である。
本書を訳していてあらためて感心するのは、太平洋戦争の重要な海戦や出来事をあまさず取り上げ、そのさわりを、当時の戦闘報告、当事者の証言などを使って、簡潔に描きだす著者の手腕である。簡潔といってもけっしておざなりではなく、生き生きと、ときには通説に疑問を呈しながら、それでも細部に深入りしすぎて全体の流れを崩すことのない、簡にして要を得た絶妙の匙加減なのである。
個々の海戦や上陸作戦を深く掘り下げ分析した著作は数多くあるが、このような太平洋戦争全体の流れを日米両方の視点からとらえ、そのなかで個々の戦いを位置づける作品は希有である。戦争に関心のある方々はもとより、太平洋戦争に興味はあるがどこから手をつけていいのかわからないという方々にも、前作とあわせて、ぜひご一読いただきたい所以である。
二〇一六年二月
イアン・トールの太平洋戦争三部作の掉尾を飾る『太平洋の試練 レイテから終戦まで(仮題)』は、文藝春秋より二〇二一年十二月に刊行される予定である。戦争の早期終結を目指すアメリカの戦争指導部内では、太平洋の島々をどの方向から攻略するかといった、キング提督の海軍とマッカーサー将軍の陸軍の確執が表面化。レイテ沖海戦では、あわや大惨事に。いっぽう窮地に追い込まれた日本陸海軍は、本土防衛の生命線ともいうべきフィリピンの戦いで、ついに文字どおり捨て身の特攻作戦を開始、アメリカ軍を恐怖に陥れる。
すでにアメリカでは刊行されている第三作は、《ニューヨーク・タイムズ》や《ウォールストリート・ジャーナル》などでも大きく取り上げられ、なかでも《ウォールストリート・ジャーナル》は、この三部作が完結したことによって、太平洋戦史のハードルが上がったと評した。第一部の『太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで』(文春文庫既刊)と本書につづいて、ぜひ手に取っていただきたい一作である。
二〇二一年五月 文庫版追記
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