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豊富な食材に多様な調理法――江戸の人はこんなものを食べていた!!

豊富な食材に多様な調理法――江戸の人はこんなものを食べていた!!

青木 直己

『江戸 うまいもの歳時記』(青木 直己)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #随筆・コミックエッセイ

『江戸 うまいもの歳時記』(青木 直己)

 燗徳利をめぐって

 ドラマでは居酒屋で酒を酌み交わす時には、燗徳利(かんどっくり)から猪口(ちょこ)に酒を注いでいる。これも時代や地域によってはあり得ない情景である。江戸時代、酒は多くの場合、季節を通して燗をして飲んでいた。燗鍋に直接酒を入れて温めて、柄などの持ち手のついた銚子(ちょうし)に移して飲む。あるいはチロリと呼ばれる金属製の燗器に酒を入れ、湯煎して燗を付ける(チロリは京大坂では湯婆(たんぽ)と呼ばれた)。居酒屋の情景を描いた絵画資料では、チロリを手に直接猪口に酒を注いでいる。江戸時代後期頃までは、ほぼこのようにして酒を飲んでいた。

 では燗徳利はいつ頃誕生したのであろうか、文化年間(一八〇四~一八)頃までの居酒屋などを描いたものでは、チロリが使われていた。天保元(一八三〇)年刊行の十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『金儲花盛場(かねもうけはなのさかりば)』に描かれた居酒屋の客は、チロリを脇に置いて酒を飲んでいる。一方、天保三、四(一八三二、三三)年に刊行された為永春水(ためながしゅんすい)の人情本『春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)』には、燗徳利の語句が確認できる。こうしたことから文化年間を経て、文政年間(一八一八~三〇)から天保の初年頃には、燗徳利が使われだしたと思われる。時代劇に燗徳利を登場させる時、文政以前あるいは幕末頃であっても大坂では躊躇(ちゅうちょ)を覚える(酒の項参照)。

 

 食事の膳

 江戸時代、食事は足付きで一人用の食膳(銘々膳[めいめいぜん])が利用されていた。酒宴の折には酒肴をのせた盆を床の上に置いて、酒を飲み肴を食べている。銘々膳の形状は様々で、四つ足のもの、底に板を二枚渡したもの(木具膳)、漆の塗り方も種類があった。胡桃(くるみ)足膳というものもある。胡桃を二つ用意して、それぞれ半分に割る。半分になった胡桃四つを縁のついた板の底につける。これも一種の四つ足膳で、裏長屋の簡単な食事を描いた錦絵に登場する。一度にいくつもの膳が付く大名や大店の主人から裏長屋の住人にいたるまで、食事には足付きの膳を使っていた。先の「みをつくし料理帖」の舞台である「つる家」は、酒の提供は月に三度、普段から食事主体の飯屋であるので、二足の膳が登場している。

 よく知られている食膳に箱膳がある。四角い箱の中に食器を入れて蓋をする。蓋を裏返して箱の上に載せ、飯やおかず、香の物や汁の物をその上に載せて食事をする。食事の後は湯を注いで汚れを落とし布巾(ふきん)で拭いて箱にしまう。きちんと洗うこと月に四、五回で、あまり衛生的ではない。この箱膳の時代劇での使い方が難しい。箱膳は禅僧や商家や武家の奉公人たちが使う物で、別名折助(おりすけ)膳と呼ばれていた。折助とは武家の下級奉公人の事である。先に触れたように江戸では長屋の住民であっても食事は足付きの膳で、箱膳は使わない。ただし『守貞謾稿(もりさだまんこう)』によれば京都や大坂では「市民」も箱膳を使うという。

「みをつくし料理帖」で、大坂からやってきた澪(みお)とかつての主人の妻・芳(よし)の二人の食膳が問題になったが、江戸の長屋における食膳に箱膳はふさわしくないという結論になった。また農民の場合、江戸後期の武蔵南部の事例ではあるが、農家奉公人や小前(こまえ)百姓(一般農民)などは箱膳を使っていた(青木直己「食の時代考証」『ヴェスタ』一一五号)。いずれにしても、江戸における食事の場面に箱膳を用いるには注意が必要である。

文春文庫
江戸 うまいもの歳時記
青木直己

定価:803円(税込)発売日:2021年12月07日

電子書籍
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発売日:2021年12月07日

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