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「東大首席タイプと付き合いたい男なんか、ほかにいないよ」。なぜ女性の価値と学歴には“ねじれ”があるのか

「東大首席タイプと付き合いたい男なんか、ほかにいないよ」。なぜ女性の価値と学歴には“ねじれ”があるのか

秋山 千佳

『東大女子という生き方』(秋山 千佳)

出典 : #文春新書
ジャンル : #ノンフィクション

東大は男子が“デフォルト”

 連載を始めるまでは、職場での出世を阻む「ガラスの天井」のような話になっていくのではないか、と想定していた。だが取材を続けるうち、見えにくいガラスや高い天井のようなものではなく、もっと低いところにある障害で、彼女たちが苦労してきた様子が浮かび上がってきた。冒頭の山口のケースもその一つだろう。高学歴女性に共通するものもあったが、東大ならではというものもあった。

 それを象徴するのが、「東大女子」というワードかもしれない。

 東大女子というのは、学内で一般的に使われている女子学生の総称だ。連載開始前、当時の担当だった東大卒の男性編集者がそう教えてくれて、「かつてそう呼ばれていた女性たち」という意味での引用符つきで連載のタイトルとなった。

 しかし取材を重ねる中でわかったのは、この呼称が、男性目線のネーミングだということだ。「東大女子」はあっても、対義語としてありそうな「東大男子」という言葉は一般的ではないという。東大生の中で、女子だけを別枠でくくる文化が根づいてきたのだ。

 なぜか。第五章で登場する北村紗衣・武蔵大学人文学部准教授は、こう分析する。

「女子が入学できるようになったのが戦後で、元が男子カルチャーだったのと、女子の数が未だに少ないというのがあるのかなと思います。『東大女子』があるからには『東大男子』もあっていいはずですけど、今までなかったのは、東大において男性はいるのが当たり前の、デフォルト人類だったからだと思います」

 男子がデフォルトなら女子は……と思ってしまうが、取材中、女子を「第二東大生」と表現した女性もいた。東大女子とは、東大生とは区別して揶揄するような「蔑称」だという声もあった(そんな蔑称が広く知られてきたのは東大と早稲田の「ワセジョ」くらいだ、と言われて「なるほど」と思ったものだ)。

 そんな男性目線が強く根ざす集団に飛び込み、悩みもがきながら自らの道を拓いてきたのが、本書に出てくる女性たちなのだ。

 彼女たちの語りを通して、「東大女子」という言葉が蔑称ではなく、ポジティブなものとして想起されるようになれば嬉しい。

 本書を記すにあたっては、もう一つ、より個人的な体験に根ざした動機がある。

 筆者は一九八〇年生まれだが、子どもの頃、父親から「女の子に学はいらない」と言われた経験を持つ。当時でさえ「時代錯誤だ!」と憤慨したものだが、残念ながら今も「女子は男子ほど勉強を頑張らなくても……」という風潮の家庭や地域があるというのは、本書やそれ以外の取材で痛感してきたことだ。

 だからこそ、最難関の大学に入った女性たちの歩みを追うことで、女子が高等教育を受ける意義を可視化できればと思う。本書で取り上げる女性たちは、それぞれ「壁」にぶつかっても、泣き寝入りでは終わらせない。努力して「東大女子」になった真価は、苦境で発揮されるものでもあるのだ。


(「プロローグ」より)

文春新書
東大女子という生き方
秋山千佳

定価:1,078円(税込)発売日:2022年03月18日

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