「並木河岸」
かつて時代小説というジャンルにおいてこのようなテーマで書かれた作品があっただろうか。今回の「名品館」には残念ながら収載できなかったが、「薊」はレズビアンの妻を持った男の異色の物語だった。しかし、この「並木河岸」は、それと同じか、それ以上に斬新なテーマを孕んだ物語になっている。
長屋に住む船大工の鉄次は、家に帰っても妻のおていとぎくしゃくした会話しかできない。
それがなぜなのか、読み手である私たちにはよくわからない。しかし、やがて、鉄次が川でお守りの奉書包みを引き裂くというシーンに至ってようやくわかる。その奉書は水天宮でもらった安産のお守りだったのだ。
ぎくしゃくの原因は、おていが流産、それも三度目の流産をしてしまったことによっていた。鉄次は、一度目のときも二度目のときもおていを労ることができた。おまえの責任じゃないと。しかし、三度目の今度となると、どうしてもやさしい言葉が出てこない。鉄次が子供好きで、どんなに子供を欲しがっているかがわかっているおていには、それがつらい。
これは流産によってどうしても子供が持てない夫婦のかなしみを描いた物語だったのだ。子供を持ちたいが持てない女の気持を描くという物語は多くあるかもしれないが、そうした女を妻に持った男の気持を描いたものは、とりわけ時代小説ではほとんど存在していなかったような気がする。
空虚さを抱えた鉄次の心に、居酒屋の女との他愛ない言葉のやりとりがすっと滲みてくる。そして、軽い気持で、ほんの数日の旅の行楽の約束をしてしまう。
そのとき、何かを察知したおていは……。
これをそのままそっくり現代に置き換えて小説化することも不可能ではない。しかし、「並木河岸」という場所の力が、この物語にとって欠くべからざるものになっている。鉄次とおていが若い頃、いつも逢い引きをしていたという「並木河岸」という場所がなければ、ここまで深い話にはならなかっただろうからだ。
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