「夕靄の中」
道中姿の半七は、北関東から江戸に入ると、根岸の手前のあたりで誰かにつけられていると思う。それを撒くために大きな寺の墓地に入る。
花と線香を買い、桶に水を入れたものを持つと、誰とも知らぬ墓の前に立ち、花を手向け、手を合わせる。
すると、不意に声を掛けられる。
――もしかしたら、あなたさまは……。
眼を向けると、そこには見知らぬ老女が立っている。
そこから物語は思わぬ展開を見せることになる。
これもまた、よくできた一幕物の舞台を見ているようだ。時間にしてほとんど一時間足らずのあいだに起きた出来事の顛末を描いて、過不足ない。静かに始まり、静かに終わる。
もちろん、そのあいだに、半七の過去についても物語られる。
いったんは江戸のやくざの世界を捨て、北関東の町に逃れたが、そこからある男への復讐を果たすため江戸へ戻ってきたのだ。
山本周五郎は、はぐれ者は描いたが、職業的なやくざ者をほとんど描かなかった。その意味では例外的な数作のうちのひとつといえるが、しかし、この半七という男がやくざ者には思えない。それは半七に、作者である山本周五郎が、人のかなしみに感応できるやさしさを付与してしまったからかもしれない。
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