「善が勝つ」だけでは先に行けない
――小川さんは歴史的な縦糸の中にバグを見出し、彩瀬さんはより同時代的な、人間関係も含めたバグを捉えようとしているように感じます。
彩瀬 確かに、私の小説は基本、現代がベースで、しかも掘り下げる対象が歴史や社会というより、人の思考の中にある「自覚されていない偏り」なんですよね。
小川 そうですよね。個人が持つ偏見についてよく取り上げておられますよね。
彩瀬 そもそも人は自分の偏りを意識できないし、だからこそ、思いがけず自分の盲点に出会ったときに驚く。そこでこの偏りってどこから生まれてきたのかな? とさらに手繰っていくと、結果的に、個人から社会や時代へとつながっていって、そこに発見が生まれる。私はそんなふうに世界へ入っていく形をとることが多いのかなと思います。
小川 彩瀬さんはそうした様々な偏見を、個人の目を通して描くことが多いわけですよね。僕は、社会や歴史をまず舞台=状況として描き、その中で個人がどう行動するか、という書き方をすることが多い気がします。
彩瀬 こんなにも違うのに、共感する点が生まれるっていうのが面白いですよね。『ゲームの王国』を読んでいて、びっくりしたシーンがあるんです。プノンペン郊外の村に住むベンという男が、自分の子どもを人身売買業者に売りながらも、ひどい扱いをしないでくれと頼む。すると業者が「お前が有り金をすべて払えば、この子どもにはなるべく怒鳴らないし、なるべく手を出さない」という。そこで「ベンはもともと持っていた六ドルに、今さっき受けとった百二十ドルを足した百二十六ドルを男に渡した。何かおかしいような気がしたが、自分の息子が怒鳴られずにすむなら仕方ないと思った」……要は子どもを売って得たお金まで巻き上げられてしまっているわけで、ここを読んだとき、私の頭の中には「いったい何が起こったんだ?」とクエスチョンマークが泡のように浮かんできたんです。
このシーンのドライさ。先ほど善悪というお話がありましたが、世の中には物語の中では善が勝ってほしいという向きもあるじゃないですか。論理の通った善や、献身的な善の概念が勝つほうが読みやすいと思う人は確実にいる。でも、小川さんはそうした価値観をこれっぽっちも信じてない。私自身も信じていないのですが。
小川 そうですよね、彩瀬さんも信じていないですよね。
彩瀬 ベンという男は論理的に考えることが苦手で、そんな彼は子どもを売ることすらうまくできない……でも、売った子どもを乗せて去っていく車を見つめながら、「俺もお前も、生まれてくるべきじゃなかったのかもな」とつぶやく。彼は理不尽さ、状況に対する苦痛はしっかり感じているわけですよね。書かれていることの容赦のなさと、実際にその人物が苦痛や悲しみを感じていることを描く、このふたつの側面を両立させているというのは、本当にすごいことだと思います。
小川 善や弱者が勝利する物語というのは読んでいて気持ちがよくなるし、読書の体験として、そうした本は絶対に必要だと思う。ただ、そればかりでは逆に、弱者に対して共感できないし、味方にもなれない気もするんです。だって、実際の世の中では善も弱者も負けているわけじゃないですか。だから僕は、小説を読んだ体験によって、「やっぱり許せない」と思ったり、「こういう人たちがいるんだ」と感じたり……要は心の中にモヤモヤが残ることが重要だと考えているんです。善が勝つ小説はジェフリー・ディーヴァーに任せて(笑)。