足場が崩れることで見えてくるもの
小川 たぶん、読む人を誘導したくないんですよね。勝つか負けるかわからない、そう思って読んで欲しい。そもそも、何が善で何が悪なのかを僕が決めるって、偉そうですよね。僕にはそんな善悪の基準はわからない。階段を上っていって、最後に高いところから素晴らしい景色を見せてあげる小説と、足もとを掘りまくって地底に突き落とすような小説があるとしたら、僕は後者を書こうと思います。僕たちが立っている足場というのはじつはもろいもので、ちょっと深く掘ってみたらまったく違う景色が見えるかもしれない、と。
彩瀬 「足場がもろい」というのは面白いですね。いいですね、楽しいですね。
小川 彩瀬さんの小説も、そういうところがありますよね。
彩瀬 足場が崩れるとその分、自由になれますから。
小川 まさに、そうなんですよ。
彩瀬 それまで砂利が敷かれた地面こそが足場だと思っていたけれど、じつは土の地面もあれば草の地面もある、ということにも気づける。そうやって足場の多様性を知ることが認識をより自由にしていくのかなって。
小川 僕は地面を掘っていくことで、見上げた時により多くの視点が感じられるようになる気がしますね。今まで見えていなかったものが見えてくるイメージ。書いている僕自身にも、そういう自分の足場が崩れていく瞬間がある。それはすごく興味深い。何かしっくりこない……キャラクターの造形や設定が嘘っぽく思えたり、うまく機能していないと感じたりして、練り直していくと、そこには自分の偏見とか思い込みが埋まっていたりする。
彩瀬 私はよく自分の考えに近い人を小説に出しますが、長篇の場合はまったく違う、なるべく遠い考えの人を視点人物にすることがあります。そのふたりを競合させたり対話させたりすることで、できれば私自身に似た考えを持っている人を越えてほしい、と思っている。そこまでやろうと思うと、自分とはまったく違う考えや切迫感を抱いている人について掘り下げることになるので、書き終えた後はどちらの考えについてもわりと近い距離感を持つようになるんです。