- 2020.04.29
- 書評
降格、閑職、病、困った親族、嫡男の死 再起を挑む御曹司の「御奉公」物語
文:山内 昌之 (武蔵野大学国際総合研究所特任教授・歴史学者)
『名門譜代大名・酒井忠挙の奮闘』(福留 真紀)
忠挙は、順調にいけば、曾祖父・忠世や父・忠清のように、苦労なく老中や大老を勤められた政治家である。忠清は、四代将軍家綱の老中・大老を務め、本丸大手門前の下馬札前に上屋敷があったことから、その権勢にちなんで下馬将軍と呼ばれた江戸初期屈指の実力者であった。しかし、五代将軍・綱吉が忠清の権力と才能を嫌って斥けたために、忠清・忠挙父子は権力の栄華から失意の淵に沈むことになる。酒井家はもともと徳川家の先祖松平親氏の次男広親に遡る家系を誇る。徳川家と遠祖が重なる門閥譜代であり、岡崎に由来する譜代よりも出自がはるかに古い。岡崎の前の山中譜代、安祥(あんじょう)譜代でもなく、さらに前の岩津(いわづ)譜代でさえないのだ。徳川家の遠祖発祥地の松平郷に由来する一門といってよい譜代筆頭なのである。酒井家は子孫が枝分かれして繁栄した名家であり、嫡流でいちばん家格の高い家が、雅楽助あるいは雅楽頭を代々名乗る家である。その当主が忠清であり、嫡男が忠挙だったといえば、本書の主人公の自負心の輪郭がつかめようか。
福留真紀氏は、この親子の栄華の場が逆境に転落する人生の有為天変と人物情景を点綴(てん てい)した。得意の人が失意に沈む人間模様を描くとすれば、文体はともすれば暗くなりがちだ。しかし著者は、史料原文を優しさやいたわりの念が出る現代語にわかりやすく置き換える技量で定評がある。『将軍側近 柳沢吉保』や『将軍と側近』などの新潮新書と同じく、本書でも独特なリズム感をもつ文体と史料の現代語訳は読みやすい。人事の動揺や苦痛を和らげようとする忠挙はじめ登場人物の努力は、確かに今の世に伝わってくる。本書では、家の格式だけでなく、人間力や人心掌握力も問われる徳川政治の厳しさを通して、順風満帆だったかに思われた御曹司エリートが苦労人として辛酸を嘗(な)めるストーリーが語られる。それは現代人も共感できる歴史の教訓にもなっている。
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