書評

江戸時代の天才囲碁棋士たちは、なぜ命を賭けて闘ったか

文: 趙 治勲 (名誉名人・二十五世本因坊)

『幻庵』(百田 尚樹)

『幻庵 上』(百田 尚樹)

 私が囲碁小説といって思い当たるのは、川端康成の長編小説『名人』くらいのものです。これは、二十一世本因坊・秀哉(しゅうさい)名人の引退碁の観戦記を小説の形にまとめたもので、勝負相手の大竹七段は、私の師匠である木谷實(きたに・みのる)(二十世紀を代表する棋士。自宅を「木谷道場」として内弟子をとり、タイトルを争うトップ棋士を多く育てた)先生をモデルにしています。

 その『名人』が発表されてから半世紀以上が経ち、現代のベストセラー作家である百田尚樹さんが、江戸時代の囲碁棋士たちのめくるめくような戦いの歴史を描いてくれました。百田さんご自身が碁を打ち、またアマチュアでも相当な強さであることは推測できますが、それにしても『名人』の七倍ほどに当たる、上中下巻約千ページという大部の作品を書かれたのは、迸るような囲碁への愛情ゆえでしょう。

『名人』(川端 康成)

 囲碁は、厳密な技術のゲームです。もちろん棋譜に間違いがあってはいけないし、具体的な勝負の記述は極めて精緻に書かれなくてはなりません。普段は自由に想像力を羽ばたかせて作品を書く作家であっても、大きな制約がある中で読者を飽きさせない面白い物語として成立させなくてはならないわけで、これは相当に困難な作業であったことは想像に難くありません。そのような困難を超えて、これほど圧倒的な物語を書かれたことは、驚嘆に値することです。

 本作の舞台である江戸時代には、約三千年といわれる囲碁の歴史において、非常に稀なことが起こりました。世界で初めて、盤上ゲームのプロ組織が作られたのです。囲碁家元四家(井上家、本因坊家、安井家、林家)は幕府から禄を貰い、囲碁を庶民に普及させる使命を帯び、また何とか自分の家から名人を出そうと鎬を削ることで、囲碁というゲームが飛躍的に発展しました。これは、世界史上でも類を見ない日本独自の文化です。

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