![作家の羽休み――「第29回:「東京雲海」に行ってきた」](https://b-bunshun.ismcdn.jp/mwimgs/b/0/1500wm/img_b0aad69d732b66a850cefa5b34713dc5109022.jpg)
「八咫烏シリーズの舞台、『山内』のモデルとなった場所はありますか?」
これは、インタビューなどでよく頂く質問です。
山内は日本のどこかの山に入口のある異界なので、基本的に建造物や文化は「和」のものです。シリーズを書き進める上で、宮崎、京都、和歌山、山形、三重、島根など、日本中いたるところを参考にさせて頂き、実際に足も運びました。
また、水の多い山の情景は、私の故郷、群馬の山々から大きな影響を受けています。
私が通っていた幼稚園は赤城山の中腹にあり、キャンプ場が遊び場で、沢や滝や沼に遊びに行くことがよくありました。小中高では遠足やら林間学校やらスキー体験やらであちこちの山を登ったり下りたりし、家族で一年に一度お参りに行くのは、榛名山の神社だったのです。
榛名山は奇岩や巨石、切り立った崖や、そこから流れ落ちる滝、美しい榛名富士を隣に見る湖などがあります。これ、烏の目から見たらさぞかし大きく感じられるだろうなあと思った結果、山内のイメージが形成されていったわけです。
とはいえ、中央花街は伊香保温泉に台湾の九份のイメージをミックスさせたものだったりするので、私が勝手に「山内っぽい」と感じた、全ての物と場所がモデルである、と言えるでしょう。
実際、上京して来てからも、東京で「山内っぽい」と感じるものをたくさん見ました。
住宅地の合間に突然現れる小さな神社や、小さな敷地に収まり切らないような大きなご神木、ビル街の隙間や屋上に赤々とした鳥居が垣間見えた時などのわくわく感は、生活の中に山内を感じた瞬間のときめきそのものです。山内の欠片は、我々の日常生活のいたる所に転がっているように感じます。
また、そういったものとは別に、大掛かりな舞台装置としての「山内っぽさ」も存在しています。
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