本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
悪名高き柳沢吉保 策士か。名君か。それとも――

悪名高き柳沢吉保 策士か。名君か。それとも――

文:福留 真紀 (東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授・日本近世史)

『赤い風』(梶 よう子)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

『赤い風』(梶 よう子)

 廉直を第一とする忠真は、その父の言葉で安堵した。

 裁許の日、かねてから、柳沢側を勝たせようと画策していた勘定奉行の荻原重秀は、双方を将軍綱吉の座する御簾の近くで対決させるが、忠真は、旗本側の百姓に軍配を上げた。

 なお、同様の逸話が『武野燭談』(宝永六年〈一七〇九〉成立、作者不詳、幕臣の手によるとされる)巻之廿五にある(「戸田山城守忠昌極直の事 同能登守忠真公事裁の事」)。ただこちらは、吉保側を勝たせようとする荻原重秀の行動が詳細に書かれるなど、吉保がより悪印象に描かれている。どちらにせよ、戸田父子の理を通す姿を褒めたたえる内容だが、注目したいのは吉保の使者の言葉で、こちらには「御用捨無く」の文言がない。「何分宜しき様に頼み入り候」。つまりは、「私の領地の百姓だからよろしくたのみます→こちらが勝つようによろしく」ということだろう。一方、「戸田能登守忠真事」では、「御用捨無く宜しく頼み入る」とあった。つまり、私の領地であることは配慮せずに判決を出して下さい、ということになり、意味するところは全く逆である(拙著『名門譜代大名・酒井忠挙の奮闘』文春学藝ライブラリー、二〇二〇年)。

 ただ、わざわざ使者を遣わした上で、「御用捨無く」と言われた方が、より不気味で、圧力を感じる、という解釈もあるだろう。確かに、物語の秣場騒動でも、そのような雰囲気が醸し出されていた。

 しかし、それは吉保のことを、漠然と強大な権力を持っていたとイメージしているからかもしれない。本当に彼はそのような権力を持っていたのか。

 江戸城は、政治・儀式空間である「表向」、将軍の執務・生活空間である「奥」、そして女性たちの生活空間である「大奥」に分かれている。その中の「奥」を支配するのが、側近のトップである吉保だ。それに対して「表向」に所属する役職のトップが、政務を統括する老中である。幕府の公的記録である「江戸幕府日記」などの一次史料からは、これまで老中が行ってきた日常的な政務に介入することはなく、生類憐みの令や対大名政策など綱吉が独自に打ち出した政策や、「奥」において、その力を発揮していた吉保の姿が浮かび上がる。老中とは、明確に職務領域を異にしていたのだ。つまり、歌舞伎や講談、時代劇などに描かれるような、綱吉の寵愛を笠に着て、老中を凌ぐ強大な権力を持つことも、やみくもにそれを振り回すこともなかったのである。

 それでは、強大な権力のイメージはどこからくるのだろうか。それは、諸大名による吉保の評価からであり、きっかけは、延宝九年(一六八一)六月の「越後騒動」再審である。

 これは、家康の二男秀康の血を引く、高田藩越前松平家の家督相続をめぐる御家騒動で、四代家綱政権期に幕府が介入し、延宝七年十月十九日に、裁決が出されていた。しかしそれでは収束せず、その後も藩内に不満が残り続けたために、綱吉の五代将軍就任後に再審がおこなわれることになった。綱吉は、高田藩が四代将軍の裁決を素直に受け入れずに、混乱を続けた点を重く見た。将軍の権威を傷つけるものと見なしたのである。その結果、御家取り潰しを命じただけでなく、家綱政権期にこの問題に対処した幕府側の大老酒井忠清や老中久世広之らも罪に問い、すでに亡くなっていた彼らの代わりに、嫡男が逼塞処分を受けている。

文春文庫
赤い風
梶よう子

定価:935円(税込)発売日:2021年04月06日

プレゼント
  • 『赤毛のアン論』松本侑子・著

    ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。

    応募期間 2024/11/20~2024/11/28
    賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様

    ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。

ページの先頭へ戻る