暖簾をくぐった瞬間、気持ちのよいお店だ、と思った。
扉を開けてすぐにニコニコと綺麗な笑顔の女将さんが出迎えてくれると、板場からは大将と板前さんが揃って「いらっしゃい!」と歯切れよく声をかけてくる。そんなに大きくないはずなのに広々と感じられて、みずみずしい花がさりげなく活けてあった。店内の空気は澄んでいて、ガラスケースの中のネタが宝石のように光って見えた。
「おう智里、よく来てくれたな。今日はいっぱい食べていけよ!」
カウンター席に着くと、ちゃきちゃきの江戸っ子口調の大将ことおじさんがニカッと笑いかけてくれたのだった。その瞬間、号泣しながらうろうろしていた5歳の私が、ようやくカウンター席にきちんと座れたような気がした。
アレルギーなどはないので、お寿司のラインアップは全てお任せすることにした。
そうして最初に青い笹の上に置かれたのは、まぐろだった。すすめられるままに醤油をネタにちょっとだけつけ、恐る恐る口に入れ――私は爆発した。
な、なんだこれ! 私の知ってるまぐろじゃない!
あまりに甘くとろけるので、驚きを通り越してびびってしまったのだ。
脂がのっているからこその甘みだと思うのだが、全然くどくない。食べ終わった瞬間に「もっと食べたい!」と、それまで緊張して縮こまっていたお腹と舌が悲鳴を上げる始末だった。
おじさんは、あふあふ言う私がしっかり味わえるように、ちょっとずつ世間話をはさみながら、絶妙なタイミングで次のお寿司を出してくる。
ぷりぷりの白身魚は噛んだらなんだか分からないよい香りがした。
甘いタレのアナゴはふわふわで、柚子の風味がして、いくらでも食べられそうだった。
ウニはあまりにトロトロでキメが細かくて、明らかに私の知らない何かだった。
貝が好きだと言ったら貝尽くしを出してくれたのだが、それも私の知っている貝じゃなかった。当然のように、これもとびきり美味しかった。
だが、特にわけがわからなかったのが、かっぱ巻きだった。
ただのかっぱ巻きと侮るなかれ。その包丁さばきは魔法のようだった。
胡瓜を細く長く割いていくようにしてシャシャシャ、と軽く動かすだけで、一本の胡瓜は異様に細かい千切りになってしまう。お寿司にこんな表現をするのは失礼かもしれないが、噛んだ瞬間の軽い歯ごたえはサクサクしていて、まるでメレンゲのようだった。
かっぱ巻きひとつで、まるで芸術品のよう。
八車において、私のそれまで培ってきた「寿司」の概念は完璧に崩壊したのである。
うまいうまいと半泣きになる私に、板場のおじさんはそうか、そうか、とやっぱりニカッと笑ってこう言った。
「東京にいるなら、またおいで!」
そのお言葉を本気にした私は、以来、ちょくちょく理由をつけて、八車にお邪魔するようになったのである。
その度にお願いするのは、やはりあのかっぱ巻きだ。サクサクでふわふわ、その風味は梅や紫蘇の香りもしたけれど、季節によっては柚子もあったかもしれない。
魔法のような包丁使いにびっくりしたメニューは、もうひとつある。
それは、たくあんのおつまみだ。おじさんが棒状のたくあんに刃先を軽く添えただけで、するすると、まるでまな板の上で巻物が開かれたように、一瞬で桂剥きが出来上がってしまう。紙のように薄く広がったたくあんに、繊細に千切りにされた胡瓜を載せて、紫蘇の葉と海苔でさっと巻く。それを薄く切って、最後にぱらりと胡麻を振って「はいお待ち」と差し出してくれる手並みは鮮やかで、もう、その一連の流れを見ているだけで感動してしまうほどであった。一種のアトラクションである。