- 2021.12.07
- インタビュー・対談
《鎌倉殿の13人》 「頼朝の精神的後継者」 の小栗旬、中村獅童は「文武に秀でた有能な外交官」… 伊東潤が解説する“古参の家臣団”の“素顔”
『夜叉の都』に寄せて
史書『吾妻鏡』にみる13人の人物像
続いて、それぞれの人物像について、鎌倉幕府の事績を記した史書である『吾妻鏡』を基に考えていきたい。
宿老筆頭と言ってもいいのが北条時政【ドラマのキャストは坂東彌十郎】だが、この人物は権力欲が人一倍旺盛で利己主義な一面があり、純粋に鎌倉幕府を存続させるために働いたとは言い難い。いわば「権力欲旺盛なリアリスト」と言えるだろう。
時政の息子にあたる義時【小栗旬】は、頼朝在世の頃、「家子専一(家子の筆頭)」として可愛がられ、間近で頼朝の言動や判断を見てきた。それゆえ「頼朝の精神的後継者」と言ってもいいだろう。頼朝の死後は、父の時政を支える形で鎌倉幕府内に北条氏の勢力を扶植していくが、牧氏事件で父・時政を失脚させ、自ら権力を握るという造反劇をも成功させた。そして三代将軍実朝の死後、承久の乱で朝敵とされながらも、武力によって朝廷を打ち破り、武家政権を盤石とさせた最大の功労者だ。
北条父子の最大のライバルと言えば、頼家の乳父にして、その息子一幡の外祖父となった比企能員【佐藤二朗】だろう。頼朝と比企氏の関係は、頼朝の乳母が比企局(尼)だったことに始まる。武蔵国に広大な所領を有していた比企氏だが、比企局の猶子で当主となった能員は、時政の罠に掛かり、命を落としてしまう。この機を逃さず、時政は御家人たちを動員して比企屋敷を攻め、比企一族を滅亡に追い込んだ。最有力御家人として並ぶ者なき権勢を誇った能員だったが、最後は油断によって敗れ去った。時政の方が一枚上手だったのだ。その人物像だが、「権力欲旺盛な御家人」の典型だったのではないだろうか。
大江広元【栗原英雄】は、頼朝が京都からスカウトしてきた文士(文官)の一人で、京都の公家から「二品(頼朝)御腹心専一者」とまで評され、畏怖されることになる人物だ。文士なので穏やかな人格者のイメージを持たれがちだが、実際は己の権力の保全のためには手段を選ばない冷酷さを併せ持っていた。しかしそれは武家政権の存続という大義を掲げていたことからで、必ずしも利己主義者とは言えないだろう。北条氏が実権を握った鎌倉幕府は、その後も安定していくので、広元こそ「執権政治の生みの親」と言ってもいいだろう。
梶原景時【中村獅童】は、かつて義経と対立したことからよいイメージを持たれていないが、実際は「文武に秀でた有能な外交官」だった。だが虎の威を借る者は、虎がいなくなれば孤立を余儀なくされる。縦のつながりをしっかり押さえていても、横のつながりをおろそかにすれば没落が待っているのだ。
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