はじめに
以下は、「文藝春秋」平成17年9月号の特集「運命の8月15日」におさめられた「東京帝国大学が敗れた日」の中で告知しておいた、「8月15日の東大」を体験した人々の取材記録である。
すでにあの記事の中で書いたように、はじめ取材は、8月15日に安田講堂で玉音放送を聞いた人々を探し出して、その思い出を聞くということではじめた。
しかし取材するほどに、その日東大に在籍していながら安田講堂にはいなかった人のほうがはるかに多かったということがわかった。その人々の終戦体験、終戦後体験をあわせて聞くのでなければ、あの時代の東大を本当に知ることにはならないということで取材の枠を広げた。
その結果、以下にまとめるように、実に多彩な体験談を聞くことができたのだが、以下は、その体験談をかなりナマの取材原稿に近い形でならべてある。
通常の雑誌作りの手順でいくと、このあとさらに面白さ、意義深さの基準によって取りあげる体験を取捨選択し、さらにその上で文章表現上のブラッシュアップを施していくのだが、ここでは、その手前の素材そのものに近い形でならべてある。
それというのも、この体験者たち、基本的に80代に達しており、その仲間の人たちは次々に鬼籍に入りつつある。もうこのような形で、これだけ多くの人々の体験談を聞くことができるのは、これが最後のチャンスになるだろうと思われる。一つ一つの体験談が貴重な昭和史の記録であるから、なまじの加工を施すより、できるだけナマに近い形で収録しておいたほうがよいと思ったからである。
通常の雑誌の誌面では、収録できる紙数にかぎりがあるから、そのような贅沢はできないのだが、インターネットのページは文字情報だけならほとんど限りなくおさめることができるくらいのゆとりがあるから、ここでは、記録性を重視してあえてこうした。
体験者自身の体験の濃淡、記憶の濃淡、取材者の話の引き出し方の巧拙、まとめの巧拙など、さまざまの要因から、原稿の仕上がり水準はさまざまだが、記録性重視の観点から、基本的にブラッシュアップの手はあまり加えないという方針をとっている(多少は加えた)。ただそうなると、量が相当に多くなってしまうので、全部読むのも大変である。基本的に学科別にまとめ、小見出しを付してあるので、別に掲げる目次に従って、クリック一つで、どこにでもジャンプしながら読みすすめることができるようにした。
もちろん、はじめから終りまで通して読んでいただいてもよいが、特定の学部学科に興味をおもちの方は、あちこち好きなように飛びながら読んでいただくとよい。
・兵器開発に加わった工学部
芋づる式に捕まるかも/石油工学科の増産能力/陸海軍の委託学生制度/航空機のプロペラ設計に従事
証言者:青木三策(造兵学科)、土屋孟(船舶工学科)、椎名清(石油工学科)、木村靖(火薬学科)、木寺淳(冶金学科)、伊藤孝一(応用数学科)
・平賀総長が生んだ第二工学部
新型ミサイルの実験成功/地下飛行機工場を構築
証言者:小澤七兵衛(機械工学科)、広瀬誠二(航空原動機学科)
・医学部薬学科と毒ガス
学校とは名ばかりの惨状/防空壕での猛毒製造を研究/富山で毒ガス製造/原爆に遭遇
証言者:細谷憲政(医学科)、高畠英伍(薬学科)、佐藤正常(薬学科)、藤原邦夫(薬学科)、喜谷喜徳(薬学科)、玉置文一(薬学科)、木村久吉(薬学科)、田村善蔵(薬学科)
・農学部生の宮城疎開
学部で分かれた徴兵猶予の有無/銀シャリとバターに敗戦を覚悟
証言者:島田恒夫(水産学科)、井上弘(農業土木科)、村田定彦(農業土木科)、渡辺滋勝(農業土木科)、佐伯好一(獣医学科)
・理学部と弾道計算
養蚕場でロケット開発
証言者:小山昭雄(数学教室)、金子哲夫(数学教室)、丸山文行(数学教室)
・文学部まるごと新潟に疎開
新潟で農作業/ソ連軍が攻めてくる
証言者:藤岡忠美(国文学科)、松田登(国文学科)
・最前線に立った法学部
敵前上陸に命をかけて/「死ににいくのではない」/入学通知者も除隊せず
証言者:小田滋(政治学科)、歌田勝弘(政治学科)、秋田成就(法学部)、藤村正哉(政治学科)
・経済学部の戦後大転換
海軍経理学校の試練/着任した日に200人が死傷/大内、矢内原、有沢ら復職/教室が足りない/東大生はアホではなかった
証言者:柴田徳衛(経済学科)、諸井勝之助(商業学科)、尾上久雄(経済学科)、浜誠(経済学科)
・それぞれの戦後
かろうじて卒業/日雇い工員で就職/泣く泣く故郷へ/常に一流を目指して/戦後を支えた人材を輩出
証言者:黒田善雄(医学部医学科)、広瀬誠二(前出)、内藤進(第二工学部機械科)