この二人のはぐれ者による、女を巡ってのやりとりが、この短編のリズムを形作っている。そして、そのやりとりの最中に、凶状持ちの男の口をついて出てくる「おめえはいやなやつだ」という言葉のリフレーンが、最後に向かってしだいに重い意味を持つようになっていく。
凶状持ちの男が柄にもなく、女たらしに「普通の生活」への希求を述べるというシーンがある。
《「あたりまえに女房を貰って家を持ちてえ、一日の仕事から帰ると湯へいって汗を流し、女房子といっしょに晩めしを喰べてえ、それが人間に生れて来たたのしみってえもんだ」》
しかし、そうした生活を断念して、凶状持ちの男は最後の善行をしようとするのだ。にもかかわらず、その善行が相手の心には届かない……。
人によっては、この「あすなろう」というタイトルにちょっとした訝しさを覚えるかもしれない。井上靖に『あすなろ物語』という有名な先行作品があるからだ。『あすなろ物語』はすでに一九五三年の「オール讀物」に発表されており、山本周五郎の「あすなろう」が「小説新潮」に掲載されるのは一九六〇年のことである。にもかかわらず、どうして似たような挿話をストーリーの核に据え、似たようなタイトルをつけたのだろう、山本周五郎らしくないな、と。
確かに、檜に似てはいるが檜ではなく、「明日ひのきになろう」というところからあすなろと呼ばれるようになったというのは、井上靖の『あすなろ物語』によって広く知られるところとなった。しかし、それは一般に知られるようになる契機ではあったが、文学上の最初の「発見」ではなかった。
すでに平安時代に、清少納言が『枕草子』で、あすなろについて《何のこころありてあすはひのきとなづけけむ》と書いているのだ。どういうつもりで「明日は檜」などという名前にしたのだろう、と。
山本周五郎も、これを踏まえて、あえて「あすなろう」というタイトルにしたのだろう。『あすなろ物語』、なにするものぞと。まさに、かつてのあだ名である「曲軒」ぶりを全開にして。
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