そこから、夫婦別れの危機が訪れる……。
長屋、ぼて振りの魚屋、勘当、夫婦別れと、すべての道具立てがなんとなく落語の人情噺の世界につながっているような気がしてくる。
そう言えば、山本周五郎はかなりの落語好きだったらしい。実際、この「名品館」には収録できなかったが、「末っ子」という作品における骨董品の扱い方は、落語の「井戸の茶碗」とそっくりだったりするくらいである。
山本周五郎がよく高座に行っていた戦前から戦後にかけての名人上手ということになると、五代目三遊亭圓生、初代柳家三語楼、七代目三笑亭可楽、三代目春風亭柳好、八代目桂文楽、といったところになるのかもしれない。しかし、私は、この「釣忍」を読みながら、定次郎をはじめとする登場人物の台詞を、十数年前に亡くなった三代目古今亭志ん朝のキレのいい口跡に乗せて聞いていたような気がする。
《「おめえまでが義理か」と定次郎は吐きだすように云った、「よしてくれ、おらあ義理に縛られるっくれえ嫌えなことはねえんだ、おめえがいやなら独りで引越しちまうぜ」》
そして、最後に近く、勘当が解けた祝いの席で定次郎が徐々に酔いを深めていくさまは、志ん朝が演じたらどれほどすばらしいものになっただろうと残念に思ったりするほどだった。
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まだ春には遠い冬のある日、私は築地にある新聞社での仕事を終えたあと、家に帰る前に少し寄り道をすることにした。
寒橋を見るためである。
といっても、現在では、「さむさばし」という俗称を持った明石橋はなくなっている。小田原町と明石町を隔てていた堀が昭和の高度経済成長期に埋め立てられてしまったため、必然的に明石橋もなくなってしまったのだ。聞くところによれば、いまはその近辺に「月島の渡し跡」というプレートが立っているだけだという。