書評

愛するということは、自分の可能性が開いていく人に巡りあうこと

文: 永田和宏 (歌人・細胞生物学者・京都産業大学教授)

『愛の顚末 』(梯久美子 著)

『愛の顚末』(梯久美子 著)

 こうして実地に足を運ぶところが、ノンフィクション作家の真骨頂であろうが、そこにはある種の〈勘〉というものが働いていたはずである。論理の積み上げと一般には考えられているサイエンスにおいても、〈勘〉というものは重要であると私は考えている。〈勘〉と言うと漠然としすぎだが、意識的にせよ無意識にせよ、対象にどのように問いを発するか、その問いの発し方に、サイエンティストとしての冴えがあらわれるものである。問いかけが下手だと、いつまで経っても自然は答を見せてくれない。

 梯さんの〈勘〉も冴えており、ここで思わぬ拾い物をする。「饒津公園の方を廻つて家に戻つた」という記述に従って同じルートを辿ったところ、それは民喜の家へは遠回りであることに気づく。その道を歩きつつ、やがて梯さんはその遠回りの訳を発見する。実はその帰り道には民喜が貞恵と結婚式を挙げた神社があったのである。これは〈発見〉である。「墓参りの帰り、わざわざ川を渡ってやって来たのは、鶴羽根神社に寄るためだったのではないだろうか。ここは、苦難の多かった原の人生の中で、もっとも幸福な時間が始まった場所なのだ」と梯さんは記す。

 こんな些細な発見は、原民喜の文学を論ずるのに表通りではない。しかし、梯さんのこの発見によって、「夏の花」冒頭に置かれた一節で原民喜が敢えて触れなかった重要なモチーフが私たちに共有されることになった。民喜個人の何より大切な時間の記憶と、その後に起こった「生キノビテコノ有様ヲツタヘヨト天ノ命」とも感じられる悲劇。自ら望んでいた〈死〉を一時封印してまで書かねばならなかったこの一篇に、民喜がどのような意識で向かおうとしていたのかが、この「語られなかった」些事によって、にわかに浮かび上がってくるのを感じる。

愛の顚末梯 久美子

定価:本体720円+税発売日:2018年11月09日


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