父と図書室、本が開いたとびら
彩瀬 最新短篇集『嘘と正典』では父と子を題材にした作品が目立ちました。
小川 よく言われるんですが、これは意識していたわけではなく――どうしても出てきてしまうんですよね。彩瀬さんもそうだと思いますが、大学生になるまでの生活って家族と学校がほとんどを占めていますよね。そうした十八年間で、僕にとって最大の謎が父だったんです。
彩瀬 謎ですか。
小川 僕が遭遇した最初の不条理というか、行動原理がまったく読めない人だったので。文学とか音楽がめちゃくちゃ好きなのに、ものすごく神経質で、自分のコレクションについても家族には決してシェアしなかった。でも、父の部屋からあふれ出した本が子供部屋に流れ込んできていて、そこから拡がった世界は確かにあるんですよ。たとえば――これは特にいい話でも何でもないけど、僕のベッドの隣に本棚が置いてあって、枕に頭を乗せて横を見るとそこにはいつもトルストイの『アンナ・カレーニナ』が差してあったんです。六歳の頃からその横に寝ていて、どんなお話なんだろう、アンナ・カレーニナって何だろうって僕はずっと想像してた。高校生になって意を決して読んで、そのときはがっかりしましたねえ(笑)。まさか人の名前だなんて!
彩瀬 何を期待してたんだろう、小川少年は(笑)。
小川 僕の知らない概念の話なんだろうと。
彩瀬 ほかにはどんな本と出会いましたか?
小川 あとは安部公房とかですね。父は、書店で掛けてもらったカバーをはずさないんですよ。その上から背にボールペンでタイトルが書かれてる。そして、「小川」という印が押してある。押してないのもある。その法則を検討していった結果、印が押してあるもののほうが面白いということに気づいた。それで、印があるものを中心に読んでいった。大人になって父に訊いたら、読了印だったんです。
彩瀬 そうか、最後まで読み切ったもののほうが面白いはずですからね。私が父からの影響で読んだのは、沢木耕太郎とか開高健かなあ。お母さまも本を読む方だったんですか?