この与太話コラムを読んで下さっている奇特な方には薄々ばれているかもしれませんが、私は結構なおっちょこちょいです。うっかり屋、不器用でもありますし、総括して粗忽者と言ったほうが良いかもしれません。
目薬とマニキュアを間違えたり(第16回:マニキュア事件)、小さな容器内で蠢くムカデが捕まえられなかったり(第32回:苔テラリウムのムカデ)、喉に魚の骨が刺さったまましばらく気付かなかったり(第46回:新年の悲劇)というのは序の口でして、こうしたエピソードには事欠きません。
ちなみに、マニキュアを点眼してしまった時は文春で缶詰中だったのですが、念のため翌日行きつけの病院に行くため、一時帰宅が許されました。そのわずか2日の間に、足の指をエントランスのドアに挟んで爪をアレしてしまい、包帯を巻いて文春に戻ることになったのです。病院でお借りした便所スリッパをはき、片足をひょこひょこ引きずりながら戻った私を見て、笑顔だった編集さんが顔色を変えて「今度は何をやらかしたんですか!?」と叫んだのは記憶に新しいです。
幸いなことに、目にも足にも喉にも後遺症はありませんでした。(※ただしムカデは今でもテラリウム内にいます。理由はお察し下さい。)
不器用なのは仕方ないとして、不注意なのは本人の気の持ちようの問題です。作家は、通常マイナスにしかならない失敗談なども飯のタネになりますので、ついつい笑い話にしがちですが、それに甘えて注意を怠るのは良くないと肝に銘じております。
私がそういう人間なのは今に始まったことではなく、小学生の頃から父には色々と言い含められていました。
「いいか智里、やっちまったもんは仕方ないが、それを誤魔化して放置したり、同じミスを繰り返したりするのは絶対に駄目だぞ。ミスした時は動揺するかもしれんが、焦っても何にもならん。そういう時ほど冷静になって最善と思われるリカバリーをしろ。それから再発防止の策を取れ」
そういう父も(本人は否定するかもしれませんが)根本は私と同類の人間です。なるほど、そうやって親父さんはなんとかここまで生き残ってきたんだな、と納得した私は、それを出来る限り守って来ました。
特に洒落にならないので、信号待ちをしている時や、移動中に道が分かっている場合などは、スマホには触らないようにしています。(※ただし道が分かっていると思い込んで地図を見ないで歩き迷子になることはしばしばある。)
マニキュア事件の時も病院に問題のマニキュアをしっかり持参し、「マニキュアの成分が分かれば……」と眼科医の先生に言われた瞬間に「持って来てます!」と容器を差し出しました。よし、ちゃんと最善の策を打てたぞ、と思っていたのですが、その帰り道、編集さんに「そういうところはしっかりしているのに、どうして……」と悲しそうに言われて、それはそうなのよ……と切ない気持ちになりました。
でも私自身もまさかマニキュアを点眼するなんて思ってなかったからさ……。
あれです、言い訳するわけじゃありませんが、予測出来る危険には対処出来るんです。そもそも予測出来ないような突飛な危険に飛び込んでしまうから、問題が起こるのです。
ちなみに、ここ半年の間にお気に入りのイヤリングを3つ落としましたが、1つ目はねじが緩んでいた、2つ目はマスクを外す際にぶっ飛んで行方不明、3つ目は「絶対に無くすもんか!」と思って移動中にポケットに入れていたら、パスケースを取り出す際にキーホルダーにひっかけて外に落ちていったという、遺失理由はバリエーション豊かなものになっています。最近では諦めてイヤリング自体をしていません。
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