とはいえ、今回の入院は前回の手術で膝に入れたボルトを引っこ抜くだけなので、入院は2日で済みます。入院2週間前には術前検査をする必要があり、私は一時的に群馬に戻ることになりました。

 術前検査後はすぐに東京に戻って来るつもりでした。

 2、3日空けるくらいならまあ大丈夫だろうと、でもせっかくここまで育ったのにへたっちゃったら嫌だなと思い、家で一番大きな花瓶を用意して、たっぷりの水を入れてそこにバジルちゃんを入れました。

 これで安心だと思いました。

 「じゃあ、行ってくるねバジルちゃん! 苔テラリウムと仲良くね!」

 ――それが、私が見たバジルちゃんの最期の姿になりました。

 この時私は失念していたのです。

 検査入院の項目には、当時だいぶ下火になったとはいえ、まだしっかりコロナの項目があったことを。

 そしてコロナ検査の後、「では、入院まで家で大人しくしていてくださいね」と言われ、私は「えっ!?」と叫んでしまったのでした。

「どうされました?」

「あの、なるべく……家にいたほうがいいですよね……?」

「じゃないと検査した意味がありませんので。そういえば普段は東京にお住まいでしたっけ。どうしても外せない用事がありましたか?」

 心配そうな看護師さんに、まさか「家にバジルと苔を置いてきちゃいました!」などと言えるはずがありません。万が一、私がコロナに感染したら、ただでさえお世話になっている上、コロナ禍の中必死に頑張っている群馬の病院の皆様にとんでもないご迷惑をかけることになります。

 幸か不幸か、仕事道具はしっかり持って来ていますし、生ごみも捨てて来たので、本当に懸念事項はバジルと苔だけなのです。

 私は大人しく群馬の実家に戻り、2週間後手術を受け、退院後、東京に戻りました。

 

 ――結果は、ご想像の通りです。

 

 無残な姿を見た瞬間、「バ、バジルー!!!」とロボットアニメとかで仲間が宇宙に散った主人公みたいな悲鳴を上げてしまいました。

 私は結局、水耕栽培で大きくなったバジルちゃんを、一枚も食べることなく枯らしてしまいました。

 おかしい。こんなはずじゃなかった……。

 なんか、もうちょっとこう、牧歌的な、「順調に水耕栽培が進み、おいしいカプレーゼが出来ました 次はクロッカスとかにも挑戦してみようかな」的なほのぼの報告がオチに来るはずだったのに……。

 あれ以来、バジルは買えていません。

 バジルを欠いたカプレーゼは、いつもなんかちょっと物足りない味がしています。

悲しい一枚

 


©阿部智里

阿部智里(あべ・ちさと) 1991年群馬県生まれ。2012年早稲田大学文化構想学部在学中、史上最年少の20歳で松本清張賞を受賞。17年早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。デビュー作から続く著書「八咫烏シリーズ」は累計130万部を越える大ベストセラーに。松崎夏未氏が『烏に単は似合わない』をWEB&アプリ「コミックDAYS」(講談社)ほかで漫画連載。19年『発現』(NHK出版)刊行。「八咫烏シリーズ」最新刊『追憶の烏』発売中。

【公式Twitter】 https://twitter.com/yatagarasu_abc