進行の遅れている原稿について、私がこってり絞られ、数分が経った頃のことです。
「にゃあああああ!」
めっちゃ不機嫌そうな猫の声が、二階から聞こえてきました。やわらかな口調で私に鞭を打っていた編集さんははたと口を閉じ、上を見ます。
「あの……大丈夫ですかね?」
なんかすごい鳴いてますが、と言われて、私は冷や汗のまま「ダイジョーブデス」と早口で呟くしかありませんでした。
あー、あれは無理やり起こしたな。まさかいきなり抱っこしたわけではあるまい。ニャア、頼むからいい子にしててくれ!
私が頭上にいると思しき猫に祈ったその瞬間、不意に、ドン! と7キロの巨体が窓辺から飛び降りる音がしました。そして、ドコドコと重量感のある軽快な足音を響かせ、階段を駆け下り、リビングに輝く茶トラが姿を現したのです。
キラキラした目の猫を先導して来たのは、焼いたマグロを、民衆を率いる自由の女神のごとく振りかざした母でした。
――最終兵器もう使ったんかい!
そう思いながらも、とりあえずニャアが来てくれたことにホッとしました。
こうなったら、最終兵器が尽きる前に撮影を終わらせなければなりません。
私は母からマグロを受け取り、先ほど決めた撮影場所に急いでつき、ニャアを必死に呼びました。頼む、「なんか知らん人とか物がいっぱいある!」と気付いてくれるな、今はマグロだけを見ていてくれ!
そんな願いもむなしく、ニャアは見知らぬ人とカメラ機材に気付き、ポカンとしました。そして、それらを一切無視して、私のマグロに駆け寄って来ました。
それから先は一瞬でした。
「いい猫ちゃんですねえ! 天才! 可愛い!」
このカメラマンさんは、去年、私がビルの上に座っているすごい構図の写真を撮ってくださった敏腕です。文字通りの猫なで声でニャアをほめ殺し、ニャアがマグロを平らげ、「あれ、何かこっち見てる? 何それ?」と不思議な顔をした一瞬を余さず撮ってくれました。
むしろ猫よりも「阿部さん、前! 前!」「カメラ向いて!」「そっちじゃない!」と私のほうが編集さんや両親から駄目出しをされてしまいました。心配で猫のほうばっかり向いていた挙句、マグロの欠片を持っていたので、なんか不自然な恰好になっていたみたいです。
必要な写真を撮り終えた後も、ニャアは人間どもが心配していたようなパニックは全く起こさず、三脚の近くでお腹を出してゴロゴロし始めました。
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